[コメント] きみの鳥はうたえる(2018/日)
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フーテンに癒しを与える佐藤泰志作品。ダラダラした世界を相変わらず堪能させてくれる。バーカウンターの向こうから敬語使われるとビビらされる類の男を描いて柄本佑の造形は余りにも見事。染谷将太も素晴らしく、役作りのために体重増やしたのだろうか、焦点定まらぬ眼がリアル。このような妙な男どもの腕になぜかぶら下がっているタイプの石橋静河も併せ、本作は高円寺界隈に大量にいる若者類型の生態観察の趣がある。俳優レベルではとてもいい作品と思う。
話は犬も喰わない三角関係。外野がどう云っても詮無いものではあるのだが、尖がった柄本が癖があるけど意外にナイーブだと徐々に判明し、最後に純情を現す展開は何とも穏やかで喰い足りない。トップタイトルでAnd your bird can singと英題が掲げられ、もちろんビートルズであり、だから続くフレーズBut you don't get meが謎かけとして冒頭から示されており、これが収束で明らかにされる訳だ。しかしなあ、友達思いで格好つけて引き下がるほうが、私の中の柄本キャラは高倉健系で完結して美しいのだがなあ。ラストの石橋の表情は「あんたそんなこと云う人やったん(見直したわ)」と読むのが推奨されているのだろう。こんなにナイーブでいいのだろうか。
石橋が脱がないのもフラストレーションのある処だ。この作品で脱がないのは風呂屋で脱衣しないに等しい。BBの昔じゃあるまいに。ピンク映画以降、彼女は脱がないと不自然なのだ。女優への「配慮」は作品をワールドレベルから転落させている。かつて古手川祐子は『細雪』でタオル巻いて入浴シーンを撮り、それが丸判りでカンヌ辺りで失笑を買ったのだったが、日本映画の大半はいまだにこのレベルである。別にこの事態は本作に限らないのだが、そんなんじゃ原田美枝子にはなれないよ、という処で特に云いたい気分。
染谷の成長噺も平凡で、萩原聖人と足立智充の千鳥足もナイーブな世界感を蔓延させる。柄本と剣突し合う足立智充は大抵の観客の似姿であろう、とても興味深く、熊切なら彼を詳述したがっただろうし、私もむしろ彼を追いかけて観ていたかった。これだけの出番ではもったいない。佐藤映画は尖った『海炭市』から始まり、監督がばらばらなのに何故か示し合わせたかのようにどんどん丸くなっており、本作はユルくなり過ぎたという感想。渡辺真起子は年取って杉村春子に似てきた。あの境地に至るだろうか。
映画は大人しいウォン・カーウァイという印象。躍動感に欠ける(キャメラの動きの鈍い公園での喧嘩など不満)が、不思議な男女関係への密着、どうでもよいような細部(音楽)の詳述、語り口のエコノミーが似ており、影響は明らかだろうが大人しい。ピンボケストレスも相変らず嫌いなのだが、思えばこれ、貧乏な環境で撮っているから仕方ないのだろう、あんまり云わないようにしようと思う。
さらに志向する舞台も似ている。カーウァイ映画で粋な男女がおしゃれなバーで北海道旅行している友達の噂話などしていて、ああ近代化香港にとって日本は羨望の的だったのだと啓蒙されたものだったが、本作のグウタラ具合など共産圏から見たら天国だろう。中国から北海道への観光客の一定割合は、これを求めてやって来るのだろうか。
あとは細かい話。本作の時代設定はどの頃だったのだろう。本作がバブル期の話か現代の話かで、このグウタラ話の印象は著しく変わるのだが、どうもよく判らなかった。石橋が捲る白黒写真集は男ふたりのどちらかのアルバムだっただろうか(なぜか人物が写っていない風景写真ばかりだが、ふたりとも別に写真が趣味ではない)。アルバムだとすると作者(90年没)の原作執筆時に遡っていることになる。染谷の机上には「原発ゼロ」というムック本が(彼のイタさを強調するためだろう)立てかけられており、3.11以降の出来事のようだが、これだってチェルノブイリ原発事故(86)関連の書籍だとすれば80年代後半に遡る。柄本のロン毛は80年代の地方都市では一般的ではあるまい、ということで、やっぱり現代の話だったのだろうか。
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