[コメント] 教誨師(2018/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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穿った件がときどきある。教誨師大杉漣の牧師の収入は500万もない、食べていけない人はアルバイトだってすると云い、ヤクザの光石研は知り合いの高級時計店に不況時に来る客は医者か坊さんばかり、坊さんになりゃ良かったのにと応える。教会って貧乏なんだなあと思わせられる。光石が「口から発せられる言葉は全て真実でなければならない」とマタイ伝引いて、新たな殺人を告白し、俺と先生の秘密だ、ああスッキリしたと笑い、大杉が署長に告げると刑期先延ばしのよくある作戦だと返されるのも面白い。
一方、不満も多い。想像上の人物と対話する烏丸せつこと古舘寛治の件は物語として通俗だし、事件時は精神喪失状態だったと告白する小川登も併せ、精神鑑定は機能しているのかと疑わせられる。小川の話が再審請求に及ぶと立会人が制止するのは事実だろうか(免田栄氏は教会とのやり取りで再審の手法を知っている)。大杉の兄の殺人の回想もメロドラマ仕立てで深みがない。
相模原障害者施設殺傷事件の犯人を連想させる、暇だからとネトウヨ的言辞を喋りまくる藤野大輝は興味深いのだが、大杉との対決は説得力に欠け、大杉がキリスト教なんてどうでもいいという主張をするのが退屈だし、藤野も「知能の低いのを選んで殺し」て世の中変わる訳がないから対決しても仕方ない人物だし、彼が死刑執行に当たり教誨師に抱きつくクライマックスも唐突、「異邦人」のような悪意から随分な撤退に見えた。
早く死にたい、今の愉しみはこれだけと語るホームレスだったらしい五頭岳夫が水着グラビア大事に持っている件がリアルでいい。彼が洗礼に当たってこれを差し出しているのは、グラビアはもういらないということなのだろうと思わせつつ、大杉がふとその裏面を眺めると、習ったばかりの字で「あながたのうち、だれがわたしにつみがあるとせめうるのか」と書かれているのを見て虚をつかれて映画は終わる。この突き放しほうが「異邦人」寄りだが、この純文学的手法で映画が何を云おうとしているのかは判然とせず、生真面目な本編を最後に揶揄っている具合で、教誨師も辛いよぐらいの感想に留まった。
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