[コメント] 美徳のよろめき(1957/日)
映画は独白と日記でもって、気障な小説の文体を切り取ろうと努めている。それ以外に面白い処がないからだろう。「夫人は誠に官能の天賦に恵まれていた」「あの人(葉山)の唇は抒情的であった」等々。嗚呼、元祖ヨロメキ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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月丘の貴族の血筋をやたら強調するが、せいぜい明治以降の貴族に血筋というほどのものがある訳もなく、西洋貴族趣味文学の輸入と仮構に過ぎない。貴族を「失われた階級」と定義して失われた戦後生活を描写するのはいつものミシマ節。戦争で死に損ねた無様さよ、といった処。
プロレスラー安部徹と付き合う宮城千賀子、揶揄っているが最後は蹴られて入院。テレビ(早い導入だろう)で漫才見て下卑た笑いを浮かべる三國。いずれも滑稽譚。流行歌を台所で歌いまくるお手伝いさんの高友子がやたら可愛い。幼稚園バスが門までお迎えに来ている。場所は鎌倉。
月丘の目指すは道徳的恋愛。葉山とふたり汽車に乗って「彼女はこの恐怖を愛していた」。でも伊豆旅行でも体を許さず、帰って三國に抱かれて、妊娠。バーで葉山といたら三國と鉢合わせ。そして中絶。三國の子なのに葉山の子と疑われるのが耐えられない、ということなのだろう。ここは面白味があった。北林谷栄の医師が危険な感じ。宮城の浮気失敗を見て葉山と別れて、未練な手紙書いて破り捨てて収束。
小説から相当改編されているらしく、三島が批判している(Wiki)。新藤がどう反応したかは調べてみよう。葉山良二はいつも通り詰まらない俳優だが、この詰まらなさが邦画全盛期なのだろう。黛の音楽は頑張っていて、吉田喜重を先行する現代音楽系込でテクの限りを尽くしている。助監督は西村昭五郎!
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