[コメント] エリザベス1世 愛と陰謀の王宮(2005/英=米)
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『エリザベス』との主な違い
1.ロバート卿が最初から既婚なのではなく、エリザベスが身分の違いから求婚を拒否し続けたため、世継ぎ残しの為にエセックス伯未亡人と結婚したこと。
これにより、エリザベス即位後もロバートが宮廷内の出入りを許されていたことに納得のいく説明がなされていた。
ちなみに、ロバート卿は本作ではレスター伯または愛称のロビンと呼ばれているため、同一人物だということを理解するのに多少の時間を要した。
2.アンデュー公が単なるゲイだと表現し求婚を辞退したと表現していたのに対し、本作では「王族の中に於いては、最も愛していた」とエリザベスに語らせていること。
国民の中には、国教が愚弄されることを危惧した怪文書が出回り、エリザベスは起草者を見つけ出し公開処刑する。これによって国民の反感を危惧した側近たちに因って両者の婚姻は直前になって中止される。
エリザベスがプロテスタントであるのに対し、アンデュー公がカトリックだということがその根本原因だと説明することによって、納得のいく婚約解消劇に仕上がった。
3.メアリー元王女の扱いが大きく異なっている。
『エリザベス』ではウォルシンガムが彼女の元に出向き、寝返りをちらつかせながら暗殺したのに対し、本作では幽閉された彼女がエリザベス暗殺を画策し、その陰謀の確証を掴んだ側近たちによって、メアリー元王女の処刑をエリザベスに提案、死刑執行書にエリザベス自身が署名することにより、処刑断罪されている。
この事に端を発してスペインとの戦争に入る流れが時系列上の説明に納得がいく。
4.その他、元カトリック側の人間として処刑されたエセックス伯の息子が成人して父の名を名乗るが、義理の父となったレスター伯の教育のお陰か、一貫してエリザベスを擁護し続ける頼もしい青年となって登場する。レスター伯の愛が無ければ、仇討ちと称してエリザベス暗殺を企ててもおかしくない人物が、後に病で臥すレスター伯の跡を受け継ぐまでに成長するのは観ていて気持ちが良い。
5.本作ではエリザベスの性格が全く異なる。『エリザベス』では恋愛に振り回された挙句、疲れきってイギリスという国と結婚することを決意した愛に破れた女として描かれていた。
それに対し、本作では、自分の意思で自分が愛した男と結婚できないのならば、イギリス国と結婚するしかないだろう、と自虐的に同じセリフを語っている。本作の方が、より気性が激しく、また親族の処刑をも厭わない冷徹な策士として描かれている。加えて、兵のいる最前線まで赴き士気高揚を謳う勇ましさも描かれている。
以上の点において、本作の方が「エリザベスI世」という女王をより人間として把握できる傑作と評したい。
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