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[コメント] 雲から抵抗へ(1978/伊=独=英=仏)

前半はパヴェーゼ「レウコとの対話」から「雲」ほか短編6作の豪華版。どれも面白くて刺激的。この神話的対話編は外れがない。人を喰ったような撮影のユーモアが素晴らしい。後半はシリアスな抵抗劇。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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前半「レウコとの対話」は現地主義が取られ、俳優はコスプレしての対話劇。

「雲」陽光の下、ユーモラスに大樹の幹に跨った雲と呼ばれる女が、地上の男に語る。「法ができた。もう人間とは一緒にいられない。貴方は人間でしかない」。男の恋人は別にいて、もう逢えなくなる。雲はストローブ=ユイレの対話劇に登場するなかで最高の美人て、天上へ向かうのもなるほどと思わされる。

「キマイラ」陽光の下、森の湖の脇、並んで座った叔父と甥の対話。甥の父の話。我らの一族は境界を犯した。父は怪獣(キマイラ)と闘ったが、もう怪獣はいないから神々に挑む。父は老いた。昔は強かったのに。神話には正義が欠けているという感想。

「盲人たち」二頭牛車が後方から、客の後頭部を手前に撮られ、路上歩く御者に従って白い牛は田舎道を延々と進む。客はオイディプスと老いた司祭で盲人。七年間女になったと語る。性は神々のためにだけある。性は変化の中にあるから。蛇も禽獣も神なのだ。 神へ祈るのは無駄だと盲人が云い、神に祈るとオイディプスは云う。対話は中断し、牛車は延々走り続ける。木の車輪がゴロゴロゴロゴロ鳴り続ける。本作の白眉で素晴らしい瞬間。

「狼人間」岩場の岩の上で痙攣する狼(犬に見えたが)。射止めたらしい狩人ふたりの対話。この狼も人間だった。山の神は彼を狼にした。獣も木も元は人間だ。美女は熊にされて撃ち殺された。神々に見られたらおしまいだ。俺たちは彼等を殺す運命だ。狼をそのままに家に帰る。

「客」白いテラスにふたり。領主は語る、老奴隷と山羊を殺した。大地のためには血が必要だから。神々ではない、大地だ。相手の異邦人は仰角で撮られ、領主を殺すと闘いを宣誓する。血の主題は後半に繋がる。

「火」夜、父と息子が野原の篝火を見ている後ろ姿。父が語る。人々は王を殺す。火に投げ込むと雨が降ったから。正しくないから神なのだ。最後のフレーズは「レウコとの対話」全てを総括するものだろう。残酷な神が支配する、を思い出す。

後半はパヴェーゼの長編「月と篝火」で一転シリアス、『マホルカ=ムフ』以来の主題が展開される現代劇。中年ふたり、アメリカ帰りの主人公が音楽家とカフェテラスで語る。「アメリカが素晴らしいのは、みんな私生児だからだ」。ヨーロッパとの差異。彼の地所の農地を見て回る。

バーで保守人脈が語り合う。「パルチザンはみんな人殺しだ」「コミュニストがドイツ軍を挑発したんだ」云々。主人公は反対して去る。司祭は教会の石段でコミュニスト批判を叫ぶ。「国や神(と並べる)を信じない者は大地に血を吸わせるぞ」。この件は「レウコとの対話」と共振している。こういう右翼はどこの国にでもいるのだ。

子役が農民役で出てきて、彼が一番演技が上手いのだった。終盤はふたつのエピソードが、原作を圧縮して科白だけで早口に語られる。相変わらずこれだけは無理矢理感があると思う。

(評価:★5)

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