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[コメント] LEFT ALONE(2004/日)

日本共産党でも新左翼でもないノンセクトの直接行動が、主役絓秀実の無節操、無展望、無責任の三無主義とともに語られる。彼等の知的な言論は欠くべからざるものだが、その活動がエリートの居場所づくりにしか見えないのが不満、という感想。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







絓秀実は早大の自主管理サークルスペースの阻止デモに参加、アジって当局と口論し、学生たちと踊る様子が記録され、大学に代わって管理していたのだから、これも大学崩壊の一環だと語る。

本邦戦後の左翼通史が語られる。日本共産党の武装路線と六全協の再統合、平和革命路線。ハンガリー動乱。トロツキー。第三世界論、ファノン、毛、ゲバラ。60年代のヘゲモニーは疎外論。それが68年のノンセクトの直接行動で変わった。映画の解説は70年代の新左翼のテロ活動には全く向かわない。津村喬のマイノリティ運動、柄谷行人とポスト構造主義が語られる。谷川雁の自前でやるんだ、自立主義、直接行動。私の世代は柄谷行人から「孤独を求めて連帯を怖れず」と教わったが、同じ方向性なのだろう。

最後の絓へのインタヴューは、質問者の花咲政之輔の云っていることのほうが面白い。左翼はポジティブでなければならない、ソ連崩壊も勝利だと語る絓に「反スタですか」「有事法制は」。それは違うがとの答えに「どう考えてもポジティブじゃない」。福祉まもれ、9条まもれでは仕方がないとの合意、「左翼はストリートの若者の気持ちを汲み上げていない。高円寺では右翼の方が反体制で愉しそう、窪塚とか」。これは21世紀初頭の風景を評して正鵠を射ていると思う。絓は体制が社民になったんだよと応じる。「それは勝利なんですか」。保守もリベラルも駄目、というのがスタンスなんだろう。議会はブルジョア議会だから駄目と考えるのかも知れない。最後は、左翼に行く回路がないんだ、と合意されていたが、回路を見出してほしいものである。

松田政男は武装闘争参加の記憶を語る。山村工作隊の隊員は拳を突き出し「軍事方針は理屈じゃねえんだ」と云った。54年の総点検運動で査問監禁されて自己批判を10回も書いたのに党活動を中止させられて厭になった。オルグがあって神山派に入ったら理論活動をさせられた。共産党に理論書はなかった。六全協で神山は共産党に復党し、ソ連出兵を支持した。トロツキーの書籍が続々と出版され始め、黒田寛一が登場した。革共同とブントが現れた。

「セクトはとうに崩壊している」と絓は一言語って新左翼の話題は終わる。これがとてもすっきりしていて、すっきりし過ぎだとも思うが、彼等のスタンスをよく表していた。花田や大西巨人は革命に至る必然の手続きを信じていた、スターリン批判でそれは終わった、いや「神聖喜劇」は別の手続きを始めたのだ、という議論がある。

68年のパリ反革命でドゴール、資本主義、社民主義が勝利した。しかし社民主義ではエコロジーなどの課題は阻止できない、と松田は語る。松田と絓は最後、太田竜も津村もおかしくなった、大島渚だってどうしようもない、我々ふたりしか残らなかった、と語り合っている。そしてふたりで早大デモでアジっている。

西部邁はいつものように彼一流の饒舌で体験談。一年でやめた。左翼の自己犠牲へのシンパシーがあった。しかしオルテガが好きになった。人間の醜さに興味があったが、左翼はそこを汲み取らなかった。唐牛の使い込みなど見てきたよ云々。何で西部なのか、両論併記のつもりだったのか。他に左翼が積極的に語れる者はいなかったのだろうか。

柄谷行人。60年代のアルチュセールや廣松のマルクス疎外論を批判した実績を語る。貨幣分析で宗教批判は継続されている。

暴力で人は変えられない。自然に人がかわってしまう方法を模索してきた。くじ引きも地域通貨もその回答。暴力は出ちゃうものだというスガに対して、それは構造があるからで、構造を変えれば人は変わるものだ、選挙をくじ引きにすれば権力の固定などなくなる。共産党もそうすればいい。絓がしかし学校と衝突するのは愉しいと反論し、柄谷は好きなようにしなさいと笑っている。

津村喬を絓は草津に訪ねている。絓は70年のマイノリティ運動、「我らの内なる差別」、入管闘争を評価する。津村は世界革命を具体的にしたかったと語る。中国、南京虐殺博物館を見た驚き、自分が分裂する、外から見れば自分は日本人である、一緒に生きなければならない、と語る。

絓はその運動上の違和感も語り、津村も同意している。民族の糾弾合戦になってしまった。しかも代行しての糾弾が横行した。差別は具体的関係では一部でしかないのに。同和問題との混同もあった(柄谷の、間接的には誰でも差別している、構造を変えれば、人は知らぬ間に倫理的になる、という発言が引かれる)。

毛沢東については、あの政治にかかわった訳ではない。オウムについては、神秘主義で病気は治らない。活動に幕引きをした。蓮実と入れ替わった。生々しいものが知的に回収されたと述べる。

映画は最初のトロツキーが消されたレーニン演説写真や千円札の贋札を示し、ベンヤミンを引用して収集=編集を語ろうとするが、全体の収まり場所が不明で半端に終わった。これらは同監督の他の作品で深掘りされているらしい。

(評価:★3)

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