[コメント] 翔んで埼玉(2018/日)
コスチューム劇はその粉飾ゆえに窮乏の精妙さと相性が悪い。二階堂は人が好いから序盤ではこれが問題とならない。人の好さと精妙は対立概念だからだ。
しかし中尾彬と対峙した彼女がコスチュームによって奪われた感情の露見性を顔に頼って引き出そうとすると、その面相は硬直し空無となるほかない。
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