[コメント] なぜ生きる 蓮如上人と吉崎炎上(2016/日)
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蓮如の弟子・了顕が親鸞の真筆である教書を守るため火災のなか、腹をかっさばいてそこに教書を収めて血に濡らし、守り抜いたというのは事実なのだろうが、それを僧侶の鑑のように描写するのはどんなものだろう。キリスト教の聖骸布などにも似ているが、そんな教義とは別のところにあるものを死守するのが素晴らしい、とするのは、教えの根本とはかけ離れたものではないのかと言いたくなる。法然や親鸞の先見性は、教養のない(経典を理解しづらい、あるいは俗事に塗れてそれについてゆけない)一般大衆に救済を説いたあたりにあり、善悪を問わず救われる可能性を示唆したからだろう。言わば平等思想だ。殉教などという真似のできない難事をもって死にランクづけをしては、本来の理想がどこかへ飛んで行ってしまうだろうに。このあたりの生臭さは、やはり与党に加わる巨大カルト教団の性格にそっくりで、尊敬できないものを孕んでいると言わざるを得ない。
もっとも、難しい教義なしに救済を説いた母体の宗派もまた「葬式仏教」に変質する危険性を最初から内部に維持していたのも事実なのだが。そんなことより「なぜ生きる」という疑問に明快な回答を用意すべく熟考するのが既成宗教の務めなんだがね。
そういう問題はともかく、この話をアニメにする必然性は最後まで全く見い出せなかった。ドラマツルギーなど最初から眼中にあるとは思えず、主人公の性格も行きあたりばったりだ。脚本の教祖・高森顕徹はシロウト仕事を完膚なきまでにプロに書き換えさせるのがいいだろう。
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