[コメント] 友罪(2018/日)
人間から人間に向けられた悪意の中で、被害者と加害者が生まれる。殺人も事故も、個々の事情で様々なグラデーションがある。恐らく、本当の事は家族は勿論、当事者ですら解ってない事もあるだろう。殺人は取り返しのつかない出来事だが、人間がその罪を追及しようとすると、追及しようとするその人物の罪が炙り出される。私は罪を犯してない人間は居ないと思っている(水子でも無い限り)。
映画ではいつも乍ら「そんな反応しないだろ」「そんな論理通じないだろ」と所々に違和感を感じたが、その一方でとんでもない人間は実在するし、平気で他人を傷つけたり他人の事は一切考えない人間も山程居る。だから映画の違和感も(私が全く共感出来なかったとしても)現実である可能性は充分にある。
こういう映画では進行するに従って、物語同様の事態に直面していなくても、観客である私自身の過去に沈降してゆく事になる。何人もの救えなかった人々、それだけでなく取り返しのつかない「深く傷つけた人々」…。
だから生田斗真や瑛太の演技力が向上したかどうかは全く判らないが、彼等の存在が私を再び強く"刺戟"する事になった。だからこそこういう映画は中々観たくないのだが、…観るしかない。
佐藤浩市も相変わらずではあったが、「家族の為に」苦しみ続ける彼の台詞に、一番の衝撃を受けた。
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寒山拾得さんが仰っていた「集団心理」だが、私は人間は常に力関係の中で「自分の意見」を出したり入れたりしていると思う。いつも自分の意見を自由に通し続ける事は、余程の王様でも出来ない。8は黙っていて2の出しどころを窺っている。何故ならそれが周りの意見を尊重する「協調性」でもあるからだ。効果的に2を出せるひとはストレスの少ない人生を送る事が出来る。ストレスから逃れる為に自分の意見を0にしてしまう人も居るが、それが快楽になったら(それが正義なのだと信じる様になったら)、その時点で「重罪」だと私は思う。
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