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[コメント] メランコリック(2018/日)

快活でトボケた感じが面白いブラックユーモアで、観ているうちは随分愉しめるのだが、後味は芳しくない。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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風呂屋に居場所を見つけたよ、とかいうホノボノしたラストはとても結構だ。しかし何か忘れてやしまいか。磯崎義知は殺人犯だろう、これに何のフォローもないのが単純に引っかかるのだ。なんで二人は逮捕されないのか。

こういうのは、昔の映画は律儀で、殺人犯がハッピーになることはなかった。本作でも突撃前夜に主人公の皆川暢二と磯崎は居酒屋でお互いの人生を貶し合う。これは、撃たれて殺されるとか警察へ自首するとかのラストを科白なしでこなすためにの、あらかじめの遺言であるのをパターンとするだろう。しかし本作はこれを強引にハッピーエンドにする。物語類型としては面白いものだが、倫理観としてはあり得ないものになってしまった。

例えば時代劇ややくざ映画などジャンル映画(のパロディ)なら許される倫理観というものがあり、四方田犬彦氏がチラシで本作を「一昔まえの香港映画の拳銃ごっご」に模しているのも同じことを云いたいのだと思うのだが、本作はジャンル映画には属さない(スプラッター映画でもない)。やくざなら殺し合い上等という理屈もひとつあるのだが、皆川が殺した者は全部がやくざとはされていない。

別に本作がその点画期的という気もしない。殺人の倫理性について相当に閾値が下がっているというのが最近の映画全般への感想で、『スリー・ビルボード』などもそうだった。私の知らないうちに、世の中が変わってしまったのだろう。そういえばもうひとつ、最初にこの風呂屋が別の商売やっていると発覚したときに、皆川が何も行動を起こさず従うのもよく判らない。パニック状態にあった、という説明は有効だろうが、それならそうと映画は説明するべきだ。

吉田芽吹の愛らしい造形は巧みだが、別れろと云われてすぐ別れたりラストでまた寄り添ったりと、主人公の皆川にとって余りにも都合のいいばかりの女であり、ハッピーエンドと併せて、オチを描き忘れた夢オチ作品、全ては皆川の夢想、ファンタジーのような印象もある。しかし、それならそれで、描き足すべき何かが欠落していると思う。その後、吉田は皆川たちの仕事を知るだろう。そのときどう説明するのか、という現実に対する構えを本作は放棄している。皆川たちはあとで現実にしっぺ返しを喰らうだろう。

母親の新海ひろ子(飯焚き過ぎたり風呂の栓抜いたりして痴呆なのかと思った)や出世頭の同窓生大久保裕太は、きっと殺されると思っていたが、終盤のハッピーエンドの引力に巻き込まれて無事で終わるのは面白味がある。導入部に端役を中心に撮って観客を混乱させるのは下手糞。自主映画みたいなものだから、客が少な過ぎる風呂屋とかの描写を揚足取っても仕方がない。ときに何が「メランコリック」だったんだろう。

(評価:★3)

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