[コメント] 男と女 人生最良の日々(2019/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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子供を寄宿舎に預けていたら自分が介護施設に入れられちゃいました、という話、ではない。
私が『男と女』をきちんと観たのは2016年。50周年記念デジタルリマスター版でした。 20年後の『男と女II』は観ていないので、私はいきなり50余年後の世界にワープしてしまったのです。
(そういや、デジタルリマスター上映時に同時上映された短編『ランデブー』も、巧いこと理由をつけてこの映画に組み込まれていた。)
実は若い頃にも観ているのですが、はぁ?レーサーと美人未亡人って、なんだそのありえねー設定。レディコミかよ。クロード・ルルーシュの頭には蛆でも湧いてんのかよ。くらいに思って、「世界一どーでもいい話」と約30年間ずっと無視してたんですね。今にして思えば『男と女II』上映に合わせて『男と女』をテレビ放映してたのを観たのかもしれないな。
それが、私自身も20歳の若造から不惑を超えて天命を知る50歳に成長し、50周年デジタルリマスターで鑑賞したら、まあ面白いこと。評価も大きく変わりましたよ。「世界一どーでもいい話。★5」。だからこの続編も映画館へ足を運んだのです。
『男と女』は、バツイチ子持ち同士の話でありながら子供ホッタラカシで、男女2人いずれかの視点だけで話が進行したんですね。2人の間に立ちはだかる障害や事件や悪人は存在せず、ただただ2人の“心”だけを(ヌーヴェルヴァーグ的に)カメラが切り取った映画でした。
本作も基本は同じなのです。
ただ、2人を再会させるにはきっかけがいる。その外部圧力として、当時はホッタラカシにされていた子供たちが再利用されます。なもんだから、回想シーンはやたら子供入りの場面が多く使われます。まるで家族ぐるみの健全なご近所付き合いだったかと錯覚するほど。
そして最大の変化。 ただひたすらカメラが切り取るはずの2人の心。そこに初めて「ボケ」という障害が立ちはだかるのです。
その結果、対等な『男と女』という立場から、「過去を生きる男」と「そんな今を見つめる女」という構図に変化している。 まるで「元カノとの写真なんかをいつまでも後生大事に持っている男」と「そんなものきれいサッパリ捨て去って新しい人生を楽しんでいる女」と同じ。 つまり、この構図の変化が、逆に普遍的な『男と女』を表現することになったのです。
『男と女』の機微を描いた映画から、『男と女』の本質を描いた映画へ。
クロード・ルルーシュ50年の変化を、時をかける中年が定点観測した結論です。ダバダバダ。
(20.02.09 渋谷Bunkamuraル・シネマにて鑑賞)
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