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[コメント] 男になったら(1918/独)

見る前は邦題から男性のロストバージンのお話かと想像していたのだが、それは全くの見当違いで、お転婆娘(というか、かなり品行の悪い)−オッシ・オスヴァルダが男性にあこがれて男装してみると…という映画でした。
ゑぎ

 もっとも、原題は「男になりたくない」なので、帰結もちょっとネタバレしている。

 本作は一応、三部構成で(挿入字幕でも明示される)、第一部は、オジさんと同居しているオッシの、主に自宅内でのお転婆の行状だ。庭で男友達と煙草を喫いながらカードゲームに興じたり、部屋でも煙草や酒を飲む姿。オジさんに叱られると、ぶちギレて部屋の椅子などを蹴りまくる。もともと監視役の女性教師−マルガレーテ・クップフアーがいたのだが、男性教師−カート・ゲッツも追加されるに及んで「どうして男に生まれなかったのだろう」と呟くオッシという辺りまで。第二部はオッシが男装し、ボール・ルーム(ダンス場)へ行くが、もみくちゃになったり、笑われたりし、もうクタクタ、ということころで、男性教師がいる。男性教師とその相手の女性との仲を裂くまで。そして第三部がオッシと男性教師のその後のお話で、基本、オッシの男装は最終盤までバレない。全体、場面構成としては男装して以降(ボールルーム以降)をまとめて二部としてもいいように思った。

 まずは主演のオッシ・オスヴァルダの所作表情がよく動き、とてもチャーミングなので、ずっと楽しく見ることのできる作品だ。またこの時期になるとルビッチの演出もかなり洗練されたものになっていることがよく分かる。例えば、切り返しっぽい人物の会話・対面場面も頻出する。時系列に少し例をあげると、部屋でオッシが酒を飲んでいて、オジさんが来て止められるが、オッシがハケると、オジさんが酒を飲む。次にオッシがオジさんに向って怒る寄ったショットが繋がれる。これは切り返しというよりは、それぞれの人物の状況を見せる意識だけかも知れない。次に、2階の窓にオッシがいて、道の男たち10人ぐらいと、それぞれカメラ目線のロングショットで繋がれる場面。これは距離はあるけれど、切り返しだろう。オッシが男たちの口にナッツかチョコを投げる。あと、オジさんが船旅に出る前の、馬車で行くオジさんを、オッシと女性教師の2人が見送る別れの場面も切り返しに近い(こゝも単に両者の状況の切り取りの意識かもしれないが)。

 二部以降になるとさらに興味深い繋ぎが見られる。ボールルームに男性教師がいるショットの次に、彼を見止めたオッシの寄ったショットが来るので、これは切り返しで、ほゞ対面している状況かと思っていると、オッシは男性教師の右横からフレームインしてツーショットになる。この繋ぎは現在見ると、違和感がある。さらに、ボールルーム全体の俯瞰ショットの後、先生と女性が部屋の端の手摺りの向うの席にいるのを示し、部屋の反対側の端にオッシを繋いで視線の交錯を表現する。こゝは鮮やかな繋ぎであり、私は全編のハイライトと云いたくなる。そして、最終盤の、部屋で男装のまゝ髪をとかすオッシとそれを見た男性教師への演出は、先生が尻もちをついて唖然と見つめるというものなのだが、オッシはバストショットで画面左を見ており、先生はロングでカメラ目線。現在の感覚では、イマジナリーラインが全く意識されていず、2人が対面しているとは認識できないものだ。これには大きな違和感を覚えるが、これが当時の映画文法の認識だったのだと分かる場面になっている。

(評価:★3)

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