[コメント] 劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン(2020/日)
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質の高いアニメを量産することで定評のある京都アニメーションが2018年に制作したテレビアニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」。これは京都アニメーションの全力を挙げた作品だった。そもそも原作自体が京都アニメーションが主催したコンクールで入賞した作品で、完全囲い込みで作られた、オリジナル作品に近い。テレビアニメが作られる以前に京都アニメーションのイメージキャラとしてヴァイオレットをいろんなところで用いて、期待を高めるような手法も使っていた。ある意味これまでに無かった新しいアニメの商業モデルとなるべき作品だった。
そして満を持して作られたテレビアニメは大変好評だった。美麗な画面と泣かせ要素たっぷりのストーリー展開。こう言うのが好きな人であれば本当にたまらない作品となった。
本作の骨子は単純である。たった一人の愛する人を慕う感情の起伏の少ない女性の物語で、彼女にとって自分を人間に戻してくれたギルベルトが生きる全てという健気さで、しかも肝心のギルベルトが生死不明のため、どう生きて良いかが分からない女性が、人の心を代弁する代筆屋という職業で人々と接していくというものである。
そこで触れあう人々は様々だが、中には葛藤を抱いている人もいるし、人に対して好きという言葉を口に出来ない者もいる。そんな人々の心の内を代弁して手紙を出すのだが、それには心の内まで推測しなければならないということもあって、人の心というものを学んでいくというのがテレビシリーズの骨子。
そして完結編となった本作ではヴァイオレットは既に自立した女性として振る舞っているが、その心の内は今も尚ギルベルトを慕い続け、彼のいない人生を埋められずにいるということから話が始まる。
テレビシリーズを観る限り、てっきりギルベルトは死んだのだと思っていたのだが、実は生きていた。それで何故家に帰らなかったかというと、戦争の後遺症と、戦争に加担して多くの人々を殺傷したことを悔やんでモラトリアム状態だと分かった。
それに合わせてこれまで無表情のままのヴァイオレットもこの作品では顔をぐちゃぐちゃにして涙流してたりもする。
そしてこの時点で分かった。
この作品、全力で泣かせにきたものだと。
これまで京都アニメーションが培ってきたテクニックを総動員して泣ける作品を作る。これが本作の本気というものだ。
その狙いは上手かったと思う。実際に映画館の中はクライマックス近くになるとすすり泣きの声があちこちから聞こえてくる。これこそ本気の作品だ。
ただ、ここで大変残念なのが、私自身が乗り切れなかったという点。泣く機会を失ってしまって、作品を醒めた目で見るのはとても心苦しい。後半は半分苦痛のまま観終えることとなった。最も重要な部分で泣くより赤面して体に痒みを覚えてしまう。
それなりに映画には感情移入しやすいタイプだけに残念。
ところで本作は面白い試みがなされてる。
京都アニメーションの作品は一言で言えば美麗な作画が特徴である。テレビシリーズなど、テレビレベルとは思えないほどの鮮明かつ美しい風景を描き出しているのだが、一度その鮮明な作画を行った上で、映画用にソフトフォーカスをかけてる。映画鑑賞に堪える作品なのだから、シャープな画像でも良かったと思うのだが、これは画面ではなく感情に訴えかけるものを演出するためなのだろう。
このソフトフォーカスも敢えて濃淡を加えることで磨りガラスの向こう側みたいな見え方にしてる。これもチャレンジなのだろう。意図的に濃淡が付けられているのだが、それはいったい何の意味があるのだろうか?後半はそっちばかり気になってた。上手くいったかどうかはともかくとして、そのチャレンジ精神には敬意を払おう。
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