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[コメント] 清水港代参夢道中(1940/日)

開巻は、水車のある田舎道。突然の斬り合い場面。竹林から寺の境内のような開けた場所へ移る。これが、舞台(劇場)のセットだと分かる、虚実が錯綜した映画的なオープニングなのだ。
ゑぎ

ガミガミ怒る演出家は片岡千恵蔵。その秘書は轟夕起子で、本作の轟もその登場から可愛い。上から浪花節が聞こえて来るが、唄うのは照明係(ピンスポットを仕込み中?)の広沢虎造だ。劇場専務は、志村喬。本作の志村は大阪弁で、よく喋る。演出部の部屋(片岡の部屋)に場面が移ると、窓の外の建物には「續清水港」のネオンサインが点滅している。モーツアルトのピアノ・ソナタ15番をジャズ風にアレンジした劇伴が流れる。片岡と口喧嘩した轟が、怒って部屋を出る際に、二回、くるりくるりと回転する所作の演出がつけられているのは、まさしくマキノの刻印だ。

 そして詳述は避けるが、お話は片岡がタイムスリップして森の石松になってしまうという展開になる。片岡は、徳川幕府は滅んだというような話をし、清水一家の皆は、気狂いになったと思う。なぜか石松の許婚も轟夕起子。片岡が、金毘羅へ親分の代参の旅に出ると、殺される、という筋書きを伝えると、轟は「許嫁の私は信じるけど、皆は頭のせいと云うでしょう、でも二人で行けば、筋書きが変わるんじゃない」と云う。この轟もいじらしい。

 さて、金毘羅へ出発する片岡と轟が、二人で暖簾から出てきて、一家が見送るカットが絶品の移動ショットだ。街道が奥へ続く画面。まるで高速度撮影のように、ゆったりと移動して見せる。この後、道中のカットで、吃驚するような綺麗なカットはないのが残念だが、この旅立ちのカットは特筆すべきだろう。

 また、三十石船のくだりは、タップリ見せて、矢張り名場面だと納得する。もちろん、「神田の生まれさ」の江戸っ子は、広沢虎造だ。その後、浜松の小松村の宿の場面で、轟は、出発前に聞いた筋書き通りに事が進んでおり、兄貴分の七五郎が訪ねて来て家へ連れて行かれると、石松の死が近づくと気づく。「出発前は、許婚の私は信じる、と云ったけれど、今は、その筋書きを信じたくない」と云う、こゝも泣かせるのだ。

 果たして、志村喬演じる七五郎がやって来て、無理やり石松を家に連れて行く。もちろん、筋書きが変わることを期待して、轟も付いて行くし、江戸っ子の広沢も連れて行かれるというお膳立てだ。七五郎の女房お民は、美ち奴。機織りをしながら、一曲唄うシーンが与えられている。志村と美ち奴の貧乏ネタが面白い。そして、どうしたって、都鳥の吉兵衛らとの竹林での斬り合いに話は進んでいくワケだ。これが広沢の唄う浪曲に乗って見せられる、というのは今見ると不思議な感覚だ。しかし、このクライマックスの殺陣も、矢張りマキノお得意の回転運動で、見応えは充分だ。

#備忘でその他配役等を記述します。

・舞台劇の石松は沢村国太郎か。時代劇部分では、石松の話し相手。上田吉二郎が大政で、団徳麿が小政。次郎長親分は小川隆。お蝶は常盤操子。小川と常盤は、実生活でも夫婦。

・代参道中に出て、かなり早い時点で、石松は香川良介たちに襲われる。倒した香川良介の子供は、沢村晃夫(後の長門裕之)。一緒に旅することに。最初はたどたどしい台詞回しだと思ったが、終盤になるにつれ良くなる。志村喬の演技をニコニコしながら見ている顔が可愛い。

・都鳥吉兵衛は瀬川路三郎

(評価:★3)

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