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[コメント] 幽霊暁に死す(1948/日)

40年代後半の邦画には教会が頻出する。邦画の戦後民主主義の受容はキリスト教とともに始まっているように見える。生徒の人気者の長谷川一夫が教師辞めて窓から飛び出し旅立ち、学校に云いたいこと云ってやったぜと新婦の轟由紀子と喜び合う。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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こんな描写に新時代の新春の気分が出ている。そして本作の主張は「20年前に死んだ」大正時代の人間だと云う幽霊を呼び起こし、この新春気分の戦後と大正デモクラシーを直結させることにあっただろう。そして夾雑物である保守化した戦前昭和を、仕方のない親戚と一緒に葬り去ろうとしている。

幽霊との邂逅は面白く、多幸感が溢れている。もう帰りましょうとさっき叫んでいたのに、鉢合わせする長谷川ふたりを特に奇異がらずに受け入れる轟。彼女はこういうコメディにとても馴染む。ふたりの長谷川はどちらも30歳、「貴方より貴方似」の長谷川の肖像画と、幽霊に画かれる轟の肖像画。

財産分与の憾みを晴らさないと天国に行けないという幽霊に、轟は「デモクラティックじゃないですね」と云い、幽霊は恨めしやに決まっていると返されて復讐が始まる。ただ、終盤は弱い。洋館に集まった斎藤達雄アチャコたち親族を詐欺師と告発するクライマックスは余り面白くなかった。彼等はお得意の喜劇をする訳でもなくシリアスにもなりきれず、キャラの立たないただの悪役になってしまっていた。

昔から怖くない幽霊ものはドタバタにたくさんあり、この切り口はクレール『幽霊西へ行く』(35)、リーン『陽気な幽霊』(45)、マンキーウィッツ『幽霊と未亡人』(47)などでドラマに転用されていた。これらの作品をマキノがリアルタイムで観る機会はなかっただろうに、世界レベルの同時代性を保っているのは流石というべきなんだろう。

序盤、轟は新婚旅行は日帰りと云っているが、日帰りは冗談にしても新婚旅行があったのだ。幽霊のピアノ伴奏で轟は山の人気者を♪ユーレイヒーと唄う、といういい加減な駄洒落が素晴らしかった。「映画渡世・地の巻」には製作費1千万円で長谷川一夫は出演料百万円とだけ書いてある。

(評価:★3)

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