[コメント] 百万人の大合唱(1972/日)
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郡山市が東北のシカゴから東北のウィーンに生まれ変わる歴史が描かれる。東北のシカゴ描写は、ヤクザは素人集には手を出さないみたいなヤクザ映画のルールは軽々と無視されておりリアルだ。地元のお祭りなのに乱暴を恐れて店を早々に閉めてしまう商店主たちが哀れ。商店主はミカジメ料で守って貰っていますという大坂志郎みたいな連中ばかりではないという主張があり、ヤクザ映画の定型と対立している。酒井に乱暴しかけた峰岸徹が商店主たちの逆鱗に触れて彼等の投石(!)で殺されてしまう件は激しい。これも実話なんだろうか。
峰岸は冒頭、目覚めてつけたラジオからワウワウのエレキギター鳴り響く導入で、ロックがこの東北のウィーンから排斥されているのがよく判る。彼は山本直純に無理矢理合唱に参加させられたときに、もう昇天していたのではないか。野次馬の商店の親爺が合唱飛び込みで楽譜が読めるのはおかしいだろうし、斎場でフラワー・メグが合唱曲をハモれるのもおかしいだろう。
ヤクザと繋がりのある商店主大坂志郎と、峰岸と腐れ縁のフラワー・メグの陰影はいいもので、このふたりの中間的人物を追いかけてほしかった。若林豪たち合唱団主催者の離反と団結の物語は当たり前過ぎてドラマが薄い。それを描くのが趣旨なんだろうけど。酒井も何で途中離反したのかよく判らなかった。
終盤は東京からヤーサンが大挙してやってきて地元ヤクザと対決、というシカゴらしい描写が始まろうとして尻切れトンボなのは地味。これも、そこを描く映画ではないのかも知れないが。新聞は朝日新聞らしく、社旗が窓に貼ってある。「暴力を追放しよう」「シカゴからウィーンへ」という記事も本物なのだろう。市議会は暴力追放を決議し、市は後援し、「これからは警察も本腰を入れるだろう」と云われる。郡山は街中に観覧車があるのが凄い。酒井の実家のレコード屋に、レコードと一緒にオープンリールテープが並べられているのが時代。
そして本作の主役は山本直純。強烈な狂気キャラは当然に素のままなのだろう。ヤクザの草野大悟と口髭が相似形を描いているのが絶妙。合唱はヤクザの狂気を消し去るための解毒剤、別の狂気を呼び込んだように見える。
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