[コメント] 踊子(1957/日)
この冒頭3カットの移動ショットの後、淡島千景と船越英二の部屋。布団の中の2人。起きた淡島が煙草を喫う。そこに町田が電報を持ってくる。淡島の妹が金沢から出てくるという。
妹はバスの車掌をしていたという京マチ子。淡島はシャンソン座という劇場の主演級の踊子で、船越はコンサートマスターみたいなバイオリン弾き。上京した京が、劇場の壁の宣材写真を見るシーンでは、淡島のブロマイドに寄るショットがある。
開巻の流麗な移動ショットのみならず、本作は極めて移動ショットの多い映画だ。それは戦前期からの清水宏の特質でもあるが、いやそれにしても多いだろう。仲見世など、歩く人の多い通りを、ゆっくりと横切るようなも移動撮影もある。それも何度も。矢張り本作でも、清水らしく、ほとんどカメラ目線の通行人がいないというのも(ゼロではないが)、驚異的に感じる。シャンソン座劇場内や料理屋などの店内の横移動も多数あり、特に、劇場内の緞帳あたりから、舞台を後方へ横切り、延々と楽屋前まで横移動し、途中、踊り子たちを出入りさせながら最後に京マチ子を映すショットは突出している。
他の主要人物としては、劇場演出家(振付師)の田中春男がおり、京は田中に任され仕込まれるが、レッスンシーンで見せる京の豊満な肢体は本作の大きな見どころだ。そして予想通り、京は田中とねんごろになる。さらに、京は姉−淡島と義兄−船越の一間の部屋で寝起きをしていて、夜はカーテンを仕切りとしているのだが、京がそーっと船越の隣に来、寝ている淡島の隣で事に及ぶのには唖然とした。そうなることはこれも予想通りだが、まさか、こんな大胆な振る舞いとは。また、京には盗癖があることも描かれるのだが、この部分はプロットにあまり機能せず(船越をヤキモキさせることぐらいにしか機能しない)、中途半端だと思う。
さて、本作中、決定的に素晴らしい、他と隔すると感じる場面がある。それはアパートの部屋に船越がいて、淡島と京が2人一緒に帰宅した後、淡島が京のお腹の子のことを問い詰める場面だ。こゝで、3人を映してドンデン(180度のカメラ位置転換)の切り返しを見せる演出には全く息を呑む。さらに、部屋を出た淡島が、物干し台へ行き泣くのだが、この泣く淡島を3カットのポン寄り(カット・ズームイン)で繋ぐのだ。映画全体を通じて、淡島は、あり得ないほどのお人よしとして描かれているのだが、それは全く聡明に演出されていると思う。
あと、本作は、清水らしい道を歩く人物のフルショットが封印されている映画だ。浅草の町の屋外ロケシーン、主要人物が道を歩く場面もあるのだが、いつものような引いたショットはワザと控えたみたいに思えるのだ。ちょっとした酔狂というぐらいの動機なのかも知れないが、得意技を封印し、このような通俗的な愛憎劇でも第一級であることを証明したかったのかも知れないと思った。とはいえ、私としては、やっぱり、いつもの清水らしい道のショットが見たかったという気持ちはあるのだが。
#備忘でその他の配役等を記述。
・他の踊子では、京に役を取られる藤田佳子、田中と京がアヤシイと淡島に云う穂高のり子が目立つ。
・産院のシーンで登場する芸妓は阿井美千子。阿井の置屋の女将は平井岐代子。
・物干し台の背景のネオンサインに「マチコ」と見える。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。