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[コメント] 踊子(1957/日)

孤児院もの、母ものを多投し、子供は育てられる者が育てればいいという後期清水の見解がここでも貫徹されているのが確認できる。見処はマンボ踊るアワシマと京マチ子の競演。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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もうこの商売駄目だ、田舎へ帰ろうというダンサー淡島千景とバンドマン船越英二のカップルが、アワシマの妹の京マチ子の参入で帰省が遅れるも、最後には田舎へ帰るという話。収束で保育園(仏教系だ)に収斂するのは後期清水宏らしく、園庭でオルガン弾いているバンドマン船越の転職振りがいい。育ての母アワシマを見て安心して産みの母京マチ子が去るという処に至るのも、母ものを多く撮った後期清水らしかった。

京が妊娠した、子供の相手は船越か、それともダンスの先生の田中春男か、という決定不可能性にドラマは発生し、君の義侠心に訴えるなどと罪をなすりつけようとした田中春男は、最後は確信を持って船越に殴りかかる。船越はアワシマの前ではギコチなく、京の前でだけフランクに話せる時間帯があって、それが元に戻る。

子供のできなかったアワシマは、京の妊娠が船越の子だと知って自分に育てさせろという。だって半分は私たちの子供だと。この心理が本作の核心で、ある種納得させられる処もあり、アワシマは何か理想的な人物に思えてくる。しかし無理筋という気もしてしまうところで、もうひとつかみ砕いてほしかった。これが成功すれば大傑作になっただろう。

演出はカーテンが多用され、ダンサーの舞台もアワシマのアパートの間仕切りもそうで、同居した京と船越の情交がカーテン越しに描かれ、アワシマが知ってか知らずかという微妙なニュアンスが醸し出されている。アパートの物干し台も部屋でもない中間地帯として活用される。男知らないと頬艶がなくなって駄目と云われるけど堕落するのは厭なの、とダンサー諦めたてるちゃん藤田佳子は看護師の勉強始めている。

(評価:★3)

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