[コメント] スージーの真心(1919/米)
あるいは、太い木のある道を行ったり来たりする二人のシーン。木に彫られたイニシャル。キスをしそうでしない二人。観客は、この映画も、キスの映画(二人がいつどうやってキスするか、の映画)だと意識することになる。
また、二人の家は道を挟んで向かい同士。道に櫓(やぐら)でも建てたのだろうか、大俯瞰カットもある。ギッシュの家の玄関側の垣根とドアも何度が映り、舞台となるが、家の裏庭には小さな畑があり、道との境界となる垣根が見事に使われる。このような垣根やドア、あるいは窓といった遮蔽物を使って、人物の関係や心持ちを表現した演出が横溢するのだ。特に、盗み見の演出は、何度も反復される。上にも書いたように、冒頭で既にギッシュは盗み見の演出をつけられている。
例えば、中盤、ハーロンとクラリン・セイモア(ベッティーナ)とのデートの様子を、裏庭の垣根越しに見るギッシュ。ハーロンがセイモアにプロポーズした日、セイモアが別の男(スポーティ)とキスをする瞬間も、ギッシュは物陰から見る。さらに、ラストシーンも、ギッシュの家の窓の場面で、窓からジョウロで花に水をやるギッシュが、ジョウロで顔を隠しながら、隙間から、ハーロンを覗き見るのだ。
あと、ギッシュとハーロンが二人でソーダファウンテンの店へ行く場面や暖炉で作られる焼きリンゴといったことを含めて、料理をしないセイモアと、料理上手な、というか、食への志向性、ひいては安定した生活感覚を持つギッシュとが対比されている。こういう部分も、プロット展開によく機能するが、今では少々ステレオタイプな感もする。
という風にグリフィスの演出は、細かい部分でいろいろと指摘したくなる豊かな造型なのだが、それでもやっぱり、本作はギッシュの魅力に尽きる、と云うべきだろう。後半の、ハーロンを振り向かせるために派手なファッションに身を包む場面も、悶絶しそうになるぐらい可愛らしく、いじらしい。
#ダンスパーティの夜のことを謝りに来るセイモアの友達は、キャロル・デンプスターだ。
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