[コメント] わが街三島 1977年の証言(1977/日)
五所遺作は三島市の水源枯渇に係るドキュメンタリー。高度経済成長の歪みを糾して誠実な作り。作品では触れられないが、三島は市民運動でコンビナートを建設断念に追い込んだ歴史がある由。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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三島市は伊豆半島の付け根、冨士噴火でできた。下田街道の分岐点で宿場町。冨士の湧水に恵まれた水の町。用水路が半世紀前につくられ、震災で壊れていまはコンクリ造り。しかし丹那トンネル完成と新幹線開通、さらに工場が地下水汲み上げてで湧き水が止まった。美しい石積みの水路の水が無残に淀んでいる光景が記録されている。
これはどうしたことかと小学校の先生は授業で問いかけ、児童らが調査、という教育映画的展開。市の公害パトロール車追いかけてBOD検査などしている。守る会の会長さんに話聞き、五所と空々しくすれ違ってしばし談話。五所は川筋に憧れて住みついた。川で洗濯し西瓜を冷やしたと語る。出身者の大岡信は遊んだ池を案内し、「人の血と同じ、水がなくなったら町は死ぬ」と子供向けにしてはドギツいフレーズを叩きつけるのだった。
各地で環境運動が盛んな時だったが、三島・沼津地域はその先駆。市民運動でコンビナート建設を断念に追い込んだ歴史を持っており、その後の公害反対運動に大きな力になった由(「高度成長」武田晴人。岩波新書による)。鑑賞フィルムは赤く褪色していて心配。
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