[コメント] 水俣曼荼羅(2020/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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前作はアスベスト闘争の「夏」を描いていたのに対し、今作は水俣闘争の「冬」を描いている。半世紀を経た今頃になってもまだ認められてない病像があり、なんら補償されてない被害者が大勢おり、問題は全然解決されておらず、チッソは元気に存続し続け、被害者は次々と死に、県と国は官僚答弁しかしない。この国の今現在が、こんなに酷い状況だとは恥ずかしながら知らなかった。歴史の教科書の中の、終わった出来事だとなんとなく思っていた。
胸を突かれたのが、面白おじさん生駒さんがマッドサイエンティスト浴野教授の検査に難色を示し、積年の苦衷を告白した場面だ。脳がやられてるって見られたくないから努力してるんだ。何年も努力している。努力して明るくふるまってる。明るく見せてる。でも内心は違う。
この映画に登場する被害者の皆さんは、映画に撮られることを承諾した人々だ。ゴマンといる水俣病患者のごく一部にすぎない。撮影を断った人の方が圧倒的に多い筈だ。そしてカメラの前に身を晒してくれるこの僅かな人たちでさえ、生駒さんのように「そのように見られたい自分」像を演じている。生きるために、そうせざるを得ぬところに追い込まれている。なんと悲しき自己演出か。ここは本当に値千金の凄い場面だと思った。たかが6時間のドキュメンタリー観て、何かが判ったような気になってんじゃねえとわたくしに冷や水をブッかけてくる。簡単な話じゃないのだ。これはまったく簡単じゃないのだ。しかしマーとりあえず、簡単じゃないってことをまず骨身に沁みて判れよとおっしゃる。はい、としか言いようがない。
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