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[コメント] 愛撫(アムール)(1933/日)

家父長制はある日突然破綻したのではなく、このような和解の積み重ねでもって相対化されたのだと判る好篇。フランス語のサブタイトルが効いている。本作の岡田嘉子は小川真由美似。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
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序盤は村の医師荒井淳と締め切りの迫った作家坂本武のよくある酔っ払い噺。医師の娘岡田嘉子は学校の先生小林十九二と好き合っている(小学校の先生で、中学教員の検定をパスしたからこれで結婚できると話し合っている)が、荒井は東京の大学で医学の勉強している息子の渡辺忠夫が戻ったら開業できるよう、地元実力者で建築家の河村黎吉と娘を結婚させようとしたことがあるらしいが、今は教師との結婚を認めている。

酔って泊まった宿で夜に急病人発生、荒井は診断処方して家に帰るが、夜中に病人の病状は急変する。別の医師の診断は盲腸炎、胃痙攣だと思って温めたのがイケなかった。この悪評が広まり、宿屋の湯治客が激変してしまい新聞沙汰。地方新聞全盛の時代なのだ。医院には車夫が雇われている。救急車代わりなのだろう。病院のネームの入った法被着ている彼が鬱屈を代表し、暇そうにしている。河村は別の病院を建て始める。病院の札が外され、駅の看板がホワイトの塗料で消される。すっかり自信をなくした荒井。岡田・小林としみじみ葡萄喰う件がいい。

ここまで引っ張って本題に入る。もう息子に頼るしかない。体壊した金送れと手紙見て岡田は上京、渡辺の肩持つ下宿の小母さん飯田蝶子押しのけ部屋に入ると壁に洋画のポスター。机には書きかけの小説の原稿用紙。ニコライ堂バックに探すと弟は警察で刑事の尋問受けていた。書いている小説もプロレタリア関連と思われる。大学には行かずデパートガールの及川道子と同棲。岡田と及川が喧嘩して一晩過ごすと渡辺は酒呑んで朝帰り。新聞記事見せると「僕は秀才じゃない。父さんは僕にも誤診しているんだ」「父さんの辱めをいいと思うの」「父さんは僕も思い通りになると思っているんだ」。

この典型的な不良息子を、荒井は何と許してしまう。岡田は見てきたことを隠し、父は「無事卒業してくれればこっちのものだ」などと打算を語ってから倒れる。電報受け取ってダマシだと請け合わない息子を突然再登場する坂本武が迎えに来て強引に帰省。息子は「父は一徹で僕は思ったことの十分の一も云えない」と彼に嘆く(坂本は吸い殻を客車の床に捨てている)。父の寝ている座敷に嫌々座らされて顔を横に背けてしまうのがリアルでいい。父は突然に柔和になり、「もう何も云わん、好きな道に進んでくれ。お父さんももう一度やり直す。もっと早くお前のことが知りたかった。これからは何でも相談してくれ」息子は我儘を許してくださいと泣く。

良い話で、これもまた戦後作品なら当然だが戦前作品だからこその意味があるだろう。いがみ合いのまま終わる親子関係のほうが多かろう。こういう和解は片方が病気にでもならないと訪れないものかと思わされる。33年はプロレタリア文学全盛。こんな光景もリアルに思われる。家父長制はある日突然破綻したのではなく、このように徐々に相対化されたのだと判る。

明治のミルクチョコ板が登場、クラブ白粉の広告が宿にも町中のプレートにも見られる。amour(アムール)はフランス語で「愛」「恋」を意味する男性名詞。 「愛」という概念自体を指す場合はl'amour(ラムール)と定冠詞le(ル)をつけて使う由。

(評価:★5)

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