[コメント] 麻希のいる世界(2022/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
向井秀徳がテレビで「飾りじゃないのよ涙は」をエレキギター一本でカバーした際に「井上先輩、中森先輩の曲を歌います!」言うとったもんだからセンパイと書いてしまいましたが、私より年下でした。そういや、宮崎あおいタンと蒼井優センセイが奇跡の共演を果たした『害虫』も音楽NUMBER GIRL。『カナリア』は主題歌が向井秀徳。本作の劇中歌提供は向井秀徳だそうですから、天才に決まっている。繰り返される諸行無常、よみがえる性的衝動。
そう考えるとこの映画、『害虫』と『カナリア』の延長線上みたいな映画だな。監督曰く、元の企画意図は『さよならくちびる』のスピンオフだったそうですが。なるほど、この映画の主演二人は、『さよならくちびる』に出てくるファンの子たちなのね。正直あの映画、あのファンの子のエピソードで映画のリズムがおかしくなってた気がするんだけど、それほど監督の思い入れが強かったんですね。
先にお断りしておきます。私は塩田明彦ファンなのですが、今回は苦言を呈します。マンガで言うなら「相変わらず絵は巧いんだけど、話がちょっとな」の巻。
私は、「塩田明彦は人生の不条理を描く作家」だと常々言っているのですが、そういった意味ではまさしく塩田明彦らしい映画です。2人とも、病気や親といった「人生の不条理」を抱えていますからね。ただそれ、今時かな?今時の「思春期の閉塞感」とリンクする?正直、昭和臭くない?
そもそもキャラクターの名前もね、由希と麻希でしょ。男の子は祐介。演じてるのは、ゆづみに麻鈴(まりん)に愛流(あいる)ですよ。由希とか麻希とか名美とか(<それは石井隆)、ネーミング(ひいてはキャラクター)からして「いま」じゃない。「昭和臭い」と書きましたが、正しくは1990年代の単館上映映画あるいは小劇場的な匂い。この90年代の「内省的な彷徨」話は、外交的な(軽薄短小な)80年代カルチャーのカウンターで、70年代的なものの復権だったと思うんです。塩田明彦が『風に濡れた女』でリブートした70年代の日活ロマンポルノ的な感じ。これが『害虫』『カナリア』の2000年代だったら、まだ「90年代の残り香」は許容範囲でした。でも、それから20年も経ってるんですよ。
それに、余計なことを語らない、語り過ぎない、というのはいいことだと思うんですが、語らな過ぎるのもどうしたものかと。そもそもどんな病気なのさ?その仕込みアンプは何?いつ、どうやったの?なんだかんだ言うとりますが2人とも「父親」の実体は見せないよね(意図的かもしれませんが)。自殺未遂したとかいう同級生も。そういや自殺未遂したお母さんどうした?いろいろどうした?どうなった?
マクガフィンが過ぎる!
(2022.02.06 渋谷ユーロスペースにて鑑賞)
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。