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[コメント] 荒城の月(1958/日)

まるでイメージ違う石浜朗演ずる滝廉太郎の夭折を描き、ダサい映画だが明治の地方都市の描写に学びはある。見処は駅馬車の美術とシナリオ文芸協会のロゴ。丸眼鏡ぐらいかけてほしかった。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







病気で留学の中断を余儀なくされた石浜は、幼年過ごした大分は竹田で静養。表札の肩書きに「士族」とあるのが凄い。日本初のシンフォニーを作曲。小学校の音楽室に荒野彷徨うベートーベンほか楽聖の肖像が貼りつけられているのは、西洋への憧れが涵養された場所を端的に示していた。

もう有名人だからと逢うのを躊躇していた幼馴染の酒屋の菊ちゃん山田百合子、なんて平凡な芸名だろう。しかし岡城址では一転誘うように再会するのが訳の判らない演出。草笛でどうやって思いついたのだろうと疑わせる前衛的なメロディを吹き、石浜は菊ちゃんに挨拶もせず小学校に飛んで帰ってシンフォニーの主旋律に採用する。これはパクリの現場再現に他ならないとしか見えない。菊ちゃんに権利意識がないのをいいことに有耶無耶になった具合だ。こんなんでいいのだろうか。死ぬ直前に元気溌剌にしか見えない石浜は楽譜を封筒に入れて「シンフォニーのための主題」と筆書きしている。菊ちゃんは旧家へ結納しており石浜が告白したときは時すでに遅く、ぷっぷーと出発の喇叭拭く駅馬車での別れ。この駅馬車がいい。貧乏な映画だが美術はしっかりしていた。嫁いだ菊ちゃんは巨大な庭で訃報を聞いて川辺で泣き崩れる収束。定番だが哀れ。

途中、軍人の旧友がやって来て、ともに西洋に学ぼうなどと高い処で語り合っているのだが、この武夫さん重森孝が奇怪なキャラで印象深い。悪く云えば気持ち悪い。口鬚が長すぎるのは正確な描写なのだろうか。

没年明治36年。この有名人、療養先は士族の家柄にして、当時の結核治療(映画のなかでは結核とは確か一度も云われない)は自宅療養だったのかという発見がある。アーバンタイトルでは豊後竹田駅に停車中の汽車(七分停車とのアナウンスがある)に放送で荒城の月がSPから流されている。汽車が到着して主人公が降りるのかと思いきや、フツーの乗客ばかりだったが、それなら車窓を追うキャメラが意味不明だった。でっかい鱒の養殖場など映されるのは観光案内込なんだろう。

(評価:★3)

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