[コメント] テルレスの青春(1966/独=仏)
テルレスが見たもの。それは、この世界に実在する虚数。
聡明なバイネベルクもまた、世界の虚数を求めていたが、それを魂に求めたがゆえに、その企ては失敗した。
数学における論理に統一を与える虚数。現実における虚数は、世界を統一するものである以上、個別の存在者に内的統一を与えるもの、すなわち魂ではなく、むしろそれは、個別の諸存在者を統一するものである。
我々の世界は、諸存在者の総体である。存在者は、可算名詞である。その総体と言う時、それらをつなぎ合わせて統一性を与えるものは何か?神?コギト?予定調和?理念?絶対精神?
テルレスが見たものは、世界を統一するものであるというものの、それが如何なるものかは具体的に示されていない。
世界の虚数が、諸存在者の統一を与えるものである以上、それは存在者ではあり得ない。もし、テルレスが見たものを言葉で説明したならば、その虚数は、一個の存在者となる。
それは言葉ではあらわすことが出来ない。
それゆえ、この全編を通じて饒舌すぎるほどの語りにもかかわらず、それは本質の周囲をめぐり、ついには本質に至らずに終わる。
言葉だけに頼らず、映画的要素のあらゆる部分から、我々は“感じる”しかない。テルレスがそうしたように。だからこそ、ほとんどのシーンで、カメラはテルレスのそばに寄り添っているのだ。
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