[コメント] 逆光線(1956/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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北原三枝は別にいわゆる太陽族ではない。真面目に大学に通い、子供ハウスで福祉のバイトして、講演会の失敗の穴埋めをこのバイト代から捻出している。彼女は真面目で、ただもっぱら性的に放縦な者として描かれる。子供ハウスは高学年に勉強を教え、低学年とは校庭で遊んでいる。いまの放課後児童クラブのようなものだろうか。
北原と関係を持った安井昌二は、男は女に責任があると語るのだが、北原は共犯よと結婚申込を拒絶、家庭生活を否定して抱き合っているときだけが愛なのだと語る。安井は僕の体が好きなんだ、ケダモノと罵り北原は逃げる。その後も責任感から結婚迫る安井に見せつけるかのように、北原は子供ハウスの人気者になった青山恭二との関係を見せつけたりする。
青山は彼女の渡辺美佐子を引き合いに、女房にはいい女と恋人にいい女があると喋り、北原は「地球の女はこうするのよ」と頬ベタ殴る一方、美佐子には彼がキレイだったからベーゼしたと告白し、殴られてその調子よ、気が済んだ? 美佐子は寮から引越し、北原は手を振り美佐子は無視する別れ。なおも云い寄る安井に「まるで所有意識だけで結婚結婚って云っているわ。今日の貴方、今までで一番イヤよ」と拒絶。安井は人間的向上を目指す子供会に相応しくないと北原を追い出そうとする。
さらに北原はブルジョア息子田中正憲の家庭教師をして、妻子持ちの二本柳寛とも関係を持つ。ラジオで海外オーケストラの演奏を聴きたいという動機が時代で、この件はクールで面白い。北原は二本松の手を取り、二本松はさっとキス、ずいぶん甘ったれてらっしゃるのねと北原は云いつつソファーに横になり、キャメラは壁の方にパンする。
妻高野由美が遅刻した二本松の高原の別荘。これが実に高級で、借景の白樺に霧が流れる様は、当時のブルジョア生活とはこれだと唸らされる。愛し合った翌日、子供がいなくなり、高原を探すふたりがキスするのを子供が見てしまって錯乱、ふたりの乗るクルマに自転車で飛び出す自殺未遂。二本松は北原に君が怖いと云い、子供は病床から起き上がり、包帯姿で北原を睨みつけ、指に噛みつく。北原は近場の湖畔でキャンプしていた子供会の集いに逃げるが誰もいない。このラスト、水着でひとり歩む北原は、今なら全裸で描写されるところだろう。
ということでいろんな旧弊に突き当たる北原という物語。セックスに解放的な女性は当時、どこを歩いてもこんな物語に突き当たっただろうと思わされる。男の責任とか美佐子の嫉妬とか浮気への子供の激怒も至極もっとも。しかしこちらの理屈に抑圧され続けた人たちもいる訳で、声を上げた原作も映画も立派だと思う(48年の『幸福の限界』と対比すると面白い)。これのジレンマは道徳で白黒つけられる問題ではなく、個別に解決せねばならないから世界は周っているのだろう。そんなジレンマは数多いものだ。手足の長い北原のパンツ姿の佇まいがとても颯爽としており、非難を跳ね返す気概に満ちている。
女子寮は起床時に小さなビブラフォンが放送で流され、寮生は廊下でアイロンかけをしてる。生活苦の美佐子は美容室のバイトでパーマかけてサンドイッチマンをして、授業中疲れて寝ている。再々登場する「さぼうる」風の歌声喫茶は酒を出していて、むしろアルコールがメインなのだろうか。アコーディオンに併せてみんな適当に唄っている。終盤のキャンプ、男女が肩組む屋外のフォークダンスではオーシマ映画でお馴染みの♪若者よ、体を鍛えておけがアコーディオンで唄われている。
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