[コメント] ロスト・ドーター(2021/米)
主人公のオリヴィア・コールマンと、その若き日をリレーキャストするジェシー・バックリーの二人は、オスカーノミニーも納得の圧巻の表現力。そしてコールマンに絡むダコタ・ジョンソンの複雑な感情の表出も、今までの彼女の殻を破る造型じゃないだろうか。
ギリシャの浜辺のホテルで休暇を過ごす英国人教師−コールマンが、数日間に出会った人々との交流を描いたお話。と書けば心温まる物語のようだが(もちろんそれも無くはないが)、描かれるのは、コールマンにとって不愉快な出来事の連続と、小さな娘二人を育てていた頃の葛藤の日々のフラッシュバックなのだ。
ダコタ・ジョンソンは、浜辺でコールマンが知り合う騒々しい、かつ、圧の強い一団(家族たち)の一人だが、小さな女の子がおり、こちらも子育てにイライラしている、という役柄で、コールマンのフラッシュバック(バックリーの場面)を喚起する。さらに、娘とのやりとりなどで、数々の相似点が繋がれ、重層的なイメージを構成していくのだ。例えば、迷子になる娘。娘の人形。夫および夫ではない男との関係、胸の大きさの話、蛇のように剥いた果実の皮と、人形の口から出て来るミミズ?。
また、白い枕にいる蝉、突然、落ちてくる松ぼっくり、庭の向こうに忽然と現れるハイカー2人、映画館で騒ぐ若者たち、あるいは、ジョンソンの夫や、その家族たちも皆コワモテの連中で(マフィアみたい)、コールマンを威圧して来る、といった描写も含めて、不穏なテンションが巧妙に持続するよう作られている。そんな中で、宿泊施設の管理人−エド・ハリスだけが、一人落ち着いたムードを醸し出す、というメリハリを効かせる作劇も上手いと思う。ハリスとコールマンがダンスする夜のシーンがいい。
ただし、非常にフラッシュバックの多い映画だが、バックリーの場面は、娘とのやりとりも、ピーター・サースガードとの情事のシーンも、細切れ過ぎる感覚を持つ。もうちょっと、長い時間でじっくり見せて欲しいと思った。また、この映画も、アバンタイトルのシーン(コールマンが浜辺に横たわる場面)から、時間を遡って(ホテルに到着する場面に遡って)、逗留中のシーケンスを重ねた上で、終盤、アバンタイトルの時間に戻る、というパターンの構成だが、どうして時系列に繋がないのかと思う。本作の場合は特に、時系列に繋いだ方が、驚きがあると思うのだが。尚、アバンタイトルからタイトルインのカッティングとBGMはカッコいい。
#バックリーの家の庭にハイカーが現れるシーンでは、ジュディ・ガーランドの歌声が流れている。バックリーとガーランドと云えば『ジュディ虹の彼方に』。
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