[コメント] ボクたちはみんな大人になれなかった(2021/日)
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『ちょっと思い出しただけ』公開記念で、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』との併映で観たんですけど、何?この、似た傾向で似たような出演者で揃いも揃って長いタイトル。
私より少し下の世代=失われた10年とか20年とか呼ばれる世代の「恨み節」に見えちゃったんですよね。「大人になれなかった」のか、「大人にならせてもらえなかった」のか、「大人になりたくなかった」のか・・・。少なくとも、「みんな」ってすぐ言う奴でロクな奴見たことない(笑)。
なるほど、シネマライズもタワレコもラフォーレも、建物自体が現存していれば、主に看板を合成するだけで(あまりコストをかけずに)昔の風景に見えるんだな。伊藤沙莉バイト先のアジアン雑貨(むげん堂だっけ?)なんか、今じゃ家系ラーメンだよね、たしか。二人の最後の場所なんて、道玄坂小路の入口の所でしょ。平成女学園っていうヘルスの看板があるとこ。そっち行ったって百軒店の奥に逆戻りするだけだぜ。冒頭も新宿駅の東南辺りの大塚家具の前(合成関係ないけど)。武蔵野館とシネマカリテとK’sシネマの間くらい。俺のテリトリーで俺の沙莉がワチャワチャしてるのは楽しかったし、彼女の体当たりベッドシーンも評価しています。「斜体じゃなくて回転を使え!」というイラレあるあるも笑ったし。
でも、映画なのか原作なのか、作り手の「感傷」に、あまり心動かされるものはなかった。生産性のない「ノスタルジーという名の自慰行為」にしか見えなかった。申し訳ない。言い方に語弊があるなら「自己憐憫」と言い換えてもいい。そういやこの世代、「自分探し」が流行った世代じゃない?中田英寿とか。自分探しの果てが「自分はどこで間違えたのか探し」なのかもしれませんな。
周囲数人の話を「みんな」って言うのって、話を肥大化しているように思えるけど、実は、本来あるべき多様な思考を自分の考え方に「矮小化」してると思うんです。この映画も矮小化なんですよ。自分の境遇の元凶を、ヒラミキの息子とか高島忠夫の息子とか、主人公より上の世代の「個人のせい」に矮小化してしまう。そしてそれを殴ったり逮捕させたりして留飲を下げているだけ。
原作は『花束みたいな恋をした』より前なんだそうで、まさかここでも押井守が(というか『ビューティフル・ドリーマー』が)話題になるとは思わなんだ。ボクたちはみんな押井守に騙されてダメな大人になったんですよ。
『花束みたいな恋をした』と似ているのは、「サブカルがメインストリーム」というオカシナ時代を生きた「私」の「生きた証」としての恋愛(失恋)模様・・・というのが当世の流行なのかもしれませんな。エモいエモい。
余談
NETFLIX映画なんですよね。「浅草キッド」にせよ「全裸監督」にせよ、日本発のネフリ作品って「今」じゃないのが多い気がしません?ノスタルジーがヒットするからなのか、この国が「今」発信すべき物語を持ち合わせていないのか・・・。
(2022.02.19 キネカ大森にて鑑賞)
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