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[コメント] 明日は日本晴れ(1948/日)

走る自動車のフロントガラスから撮った山道。本作も、道のショットで始まる。このファーストカットは運転手のミタメか。自動車は乗り合いバスで、運転手は水島道太郎だ。車掌は三谷幸子
ゑぎ

 車内の客の中に、見るからに玄人っぽい女がいる。これが国友和歌子。その噂話。運転席のバックミラーに映った映像も活用される。他の目立つ乗客で、盲人の按摩−日守新一がおり、男女の数や、履き物別の人数などを当てる。『按摩と女』を思い出す、勘のいい盲人のパターンだ。

 この冒頭の時点では、『有りがたうさん』のような映画かと思ってしまうが、かなり異なる。人物の関係は、後年の五所平之助雲がちぎれる時』みたいだ。水島と国友と三谷の関係を指している。というか、すぐにバスは故障し、峠の登り坂で止まってしまう、という点でも『有りがたうさん』と全然違う。乗客たちで力を合わせて、バスを押す場面は『暁の合唱』のようでもある。つづら折りの道をバスが押される超ロングショットが絶品だ。

 また、本作には、戦争の傷痕がはっきりと描かれる部分がある。乗客の中には片脚の男−『蜂の巣の子供たち』ではオジキと呼ばれる、浮浪児たちの元締め役をやっていた御庄正一がいる。彼は戦争で脚を無くしたと云う。按摩の日守も、満州事変の際に視力を失ったという設定だ。そして、乗客の中で、前半は全然目立たないのだが、中盤になって、部隊長だったという老人−荒木忍が登場する。全国を回って戦死した部下の墓参りをしている、と云うのだが、片脚の御庄正一は、くってかかり、殴りつけるのだ。

 それと、肢体不自由者(片脚の男)と盲人(按摩)に加えて、乗客の中には、聾唖のお爺さんもいる。聾者は、世の中の余計な音が聞こえないからいい、盲人も、汚いものを見ずに済むのがいい、という主旨の皮肉な科白がある。車掌の三谷幸子が、盲人と聾唖者の会話を通訳するシーンが微笑ましい。

 結局バスの故障は致命的なもので、救援車を待つしかない、という状況になるのだが、運転手の水島が車体の下にもぐって、修理しているフリをする、というのが面白いところだ。これは、水島のいい加減な(狡賢くもある)性格を表現している部分だが、映画的な演出として、この後、車体の下の水島のミタメで、国友和歌子の脚のショットを繋ぐ方便でもあり、この点の方が重要だろう。

 ラストカットは、ファーストカットと対照的に、走るバスの最後部の窓から見た山道のショットだ。このエンディングも落ち着きがいい。尚、本作も『暁の合唱』などと同じで、タイトルを意味する画面やセリフは一切出てこない。

(評価:★4)

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