[コメント] ギレルモ・デル・トロのピノッキオ(2022/米)
この世に絶対のものなどはない。子が間違いを犯すなら、指導者も神も、父だって間違いを口にする。そして永遠などない。いい事が長く続かないように、悪い事だって長くは続かない。はかない幸せとは、それゆえに何と素晴らしいものだろう。それが明日には燃え尽きる炎だとしても。…これは、弱いイタリア人民の誇りの歌だ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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ギレルモ・デル・トロの名を冠したこのピノッキオの物語は、実に原作に忠実な物語などではなかった。この物語の時代背景と舞台ははっきりしている。第一次大戦の終わりから、第二次大戦にかけてのイタリアで起こった奇跡だ。そして歴史には刻まれていないが、ベニト・ムッソリーニにもかかわる話だ。そして原作とは違い、親に嘘をついたり言いつけを破ったりする不完全な人形は、すでに命をもつ素晴らしい存在だ。そして最後に父のために「完全な」存在となったピノッキオは、人間のもつ不幸だけを抱え込んで父に報いるのだ。
およそピノッキオの物語のなかで、これほどに美しく悲しい物語を知らない。そして主人公が気高くある物語もだ。大人は偉そうに正義を語るが、その実じつに無力で弱い存在だ。木工職人ゼペットもそのひとりであり、不完全ゆえに敗北も死も知らない超越の子供ピノッキオは、彼のために限りある命を受け入れる。この物語はたぶん、子供のためのものではない。ゼペットのように子供に依存せねば生きられない、情けない俺のような大人のための話だ。この物語で子供はロバにならない、もっと情けなく恥ずかしい兵士になるのだ。ロバのように海に投げ込まれても子供に戻らない兵士になるのを拒み、ピノッキオたちは銃を棄てた。恥ずかしいファシストは死んでも銃を手放さなかった。そんな不孝なことをできるのは子供だけだからだ。 まこと、これは不完全ゆえに素晴らしい子供の物語だった。
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