[コメント] セールスマン(1969/米)
ある“モノ”に人が合理的な価値を見い出しだときモノは商品として"売れる”。そして価値と利便性の幸福サイクルが飽和点に達したとき価値は消滅し所有は合理性を失う。すると資本家は"売る"ために価値をでっち上げ言葉巧みにモノを虚飾でくるみ商品のよう見せかける。
売り手の饒舌と買い手の沈黙。売り手の虚勢と買い手の妄信。ある家の老人がビートルズを聴くために買ったのだと家具調の巨大なオーディオセットを自慢する。そこから流れるムードミュージック風にアレンジされたビートルズもどきの楽曲の歪んだ音の虚しさに、ストッパーの外れた販売至上主義と、物欲に麻痺した疑似幸福の負のスパイラルが見える。
そう言えば60〜70年代。日本でも中流を自認する家庭には豪華装丁の10巻を超える「大百科事典」が一度も開かれぬまま鎮座していた。戦後の経済復興に浮足立った大衆の物欲を、知識という無形の優越意識でくすぐって訪問販売や通信販売を駆使して大手出版社が売りつけた、そこにあるだけの虚飾まみれの「知識」の塊。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。