[コメント] 西部戦線異状なし(2022/独)
また、主人公パウルに寄り添った戦場の場面も、基本は非情で即物的というか客観的な視点で捉えられる。例えばパウルの家庭の描写が一切ない(一時帰郷のプロットも削られている)といった措置。あるいは、カット(カチンスキー)は科白で妻や子のことを回想のように語るが、フラッシュバックを挿入したりしない。さらに、私は、本作でも「蝶」が出て来るかどうかずっと気になりながら見ていたのだが(どちらに賭けるかと聞かれたら「蝶は出てこない」に賭けると思いながら見ていたが)、「蝶」に関する描写もないのだ(ちなみに、長靴に関するプロットもない)。代わりと云ったらなんだが、花の刺繍のあるスカーフが兵士たちの間を回って行くプロットは抒情的と云えるかも知れない。
このように原作及び1930年版(ルイス・マイルストン版)とはかなり異なる感触を志向した映画と云えるだろう。ついでに云えば、塹壕の中や突撃場面を延々と移動するようなカメラワークもほゞなく(思いの外、長回しは少ない)、スタンリー・キューブリックの『突撃』みたいな画面にすることも避けたようだ。私はこの点は良い志向性だと評価する。
気になった点としては、本作でも劇伴は大袈裟だと思った(だからオスカーなのか)。農家の門の前で唐突に流れるバッハ(「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる」)の使い方もあざといと感じる(この曲を聞くと私はどうしてもタルコフスキーを思い出す)。また、この農家の場面もそうだが、兵士の視線の演出について、少々意味深にディレクションし過ぎているように思う(目を見開き過ぎというか)。つまり、何か特別なものを見ていると(もっと云えば敵に遭遇し相対したのか?と)思わせるのだが、そんなことはなかった、というような、スリルの亢進を反故にする演出が何度もある。その度に、ちょっと騙されたみたいな感覚になる。
(評価:)
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