[コメント] 三里塚 辺田部落(1973/日)
賛成派と反対派の入り混じるモザイクのようになった村々の政治構造に深入りさせないのは語り手の立場であり、話題はもっぱら持久の技術論に終始する。
寄合が大量のたばこを浪費するだけの感想共有の場にすぎないのであれば、主題は村のライブラリを兼ねる公民館そのものとなる。融通無碍のその空間に滞留する村の事業継続のうっすらとした危機は、村落共同体が重荷だと吐露する青年を経由して念仏講で正体を現す。危機は究極的には宗教の不在にあり、補足されるのは闘争を超えた一種のアノミーである。
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