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[コメント] 免田栄 獄中の生(1992/日)

免田栄さんの真摯な人柄に触れる作品。釈放の後も社会は迎えてくれない、そういう社会構造だという告白に恐ろしさを感じる。究極のときを救ってくれたのが聖書という回想と併せ、この国の倫理観とは何だろうと考えさせられる。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







映画は殆どが免田氏のインタヴューで構成される。キリスト者との1000通に上る文通が紹介される。事件発生時は23歳。死刑の恐怖に荒れた(荒れ具合によって手錠のかけ方が違う)。そんなとき聖書と出会った。

「たとえ死の陰の谷を歩むとも 私は災いを恐れない。あなたは私と共におられ あなたの鞭(むち)と杖(つえ)が私を慰める」(詩編 23:4)を読んで、動揺していた心が落ち着いた。この句が好きな囚人は多い。欲望のない闇に入った、光が溢れてきて死の恐怖が消えた、体が浮いた、死の壁がなくなると怖くなくなった。これはジェイムズのボーンアゲインの体験のようだ。

アメリカの神父に教わり、再審に取り組んだ。独学で上申書を書いた。再審請求をすると卑怯者と思われたが、決定すると胴上げしてくれた。死刑囚全体の喜びではなかったか。しかし再審取り消しになり、疑いの目でみられた。点字を習い、点訳作業をした。700冊が熊本ライトハウスに免田文庫として収められている。金の枠に千枚通しを次々と刺す早技が披露される。私には懐かしい器具だった。

死刑の朝は、靴音がひとつひとつの部屋の前を進む。どこで足が止まるか。親友はみなさんさようならと云って出て行った。刑場では全員が腰が引ける。歩けない人が多い。牛馬の方が死体はキレイだと伝聞される。この件をみて、死刑台への階段を登っていくという映画の描写は嘘なんだなと気づかされた。

犯行現場の写真が20年後に出てきて、30年目、54歳で再審決定。嫌いだった官吏から、おめでとう、俺もひとり殺さずに済むと云ってくれて、布団で泣いた。死刑囚として初の再審。無罪のビデオが流される。

いまは68歳。故郷の人吉に帰らず、彼が川に投網するショットが流される。社会は迎えてくれない。裁判を認めていない、悪口も云われる。そういう社会構造だ。何のために出てきたのかと思う。本質はみんな寂しいのだろう。そんなことが告白され、胸が苦しくなった。

(評価:★4)

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