[コメント] ハウス・バイ・ザ・リバー(1950/米)
このオープニングが既になんとも気持ち悪い。隣家の東屋のようなテラスに主人公のルイス・ヘイワードがいる。先の庭仕事をする隣人(婦人)との会話があり、ヘイワードは作家だと分かる。返却される原稿を、川のゴミのよう、と云う。
続く、ヘイワードの邸のシーンも異様な造型でいい。2階の窓に灯りがともるカット。外壁の配管に水が流れる音。家政婦のエミリーが2階のバスルームを使っているのだ。ヘイワードが邸に入ると、想像以上に暗い。玄関から入ってすぐに大きな鏡がある。階段とその横の壁のペイズリー模様がとても気持ち悪いのだ。階段を降りて来た家政婦メアリーにキスを迫るヘイワード。こゝの恐慌の演出が見事だ。続けざまに誰かが来る(外にいる)。玄関ドアのパターンガラスに影。覗く目。勝手口の方へ影が動く。こゝの影の見せ方も最高。素晴らしい導入部だ。
というワケで、家政婦エミリーは、麻袋に入れられ、小舟で川に運ばれ、錨を括りつけられて、川に捨てられる。その瞬間、魚が跳ねるのもミソ。この後、邸に帰宅していたヘイワードの奥さん、ジェーン・ワイアットの登場シーンが、家政婦エミリーと同様に階段上の影なのだ。この反復を見た瞬間、この人も殺される帰結だと思ってしまう。そして同日の夜行われるパーティで、ヘイワードがダンスする場面も最高。嬉々として踊るヘイワード。なんというサイコパス。
また、オープニングの会話で予想できる通り、エミリーの入った麻袋が川を行ったり来たりするようになるのだが、ヘイワードが舟で、一晩中、袋を追いかけるシーンも凄い。水に浸かりながら、かぎ棒で引っ掛けるが、袋が裂けて、髪の毛が出てくるのだ。髪の毛のはみ出した麻袋は、結局回収できずに、流されて行ってしまう。
さて、ヘイワードの弟役、リー・ボウマンも重要な役を担っており、ヘイワードは弟に罪をなすりつけようとし始める。本作の難点をあげるとしたら、ボウマンと彼の家の家政婦との関係で、ボウマンが家政婦に厳しくあたる部分は、もうちょっと描き方あったんじゃないか、と思った。彼の共感性を阻害することになっているように思う。また、エンディングは、矢張りヘイワードの邸の階段を使った演出で、ちょっと無理やりな感じのするアクションなのだが、それでも画面造型は揺るぎないものがあり、ラングの犯罪映画らしい、深い満足感のあるエンディングだ。
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