[コメント] 遺灰は語る(2021/伊)
冒頭はアンティークな卓上電灯(電気スタンド)と薬の瓶みたいなものが置かれているテーブル。部屋全体を映すと、『2001年』の白い部屋みたいなシンプルな装置だ。ベッドには老いたピランデッロ。こゝに子供3人が入って来て、ベッドに近づくにつれて、子供は大人になり、壮年になる。こゝから全編、極めて落ち着いた、揺るぎない演出だ。
本作のアスペクト比は基本スコープサイズだが、ビスタサイズの過去の映像が挿入される(記録映像だけでなく『戦火のかなた』などの劇映画の断片が使われている)。また、冒頭からモノクロ映像だが、ピランデッロの棺が火葬炉に入れられる際の炎はカラー。ピランデッロは1936年に亡くなったが、ムッソリーニの意向が働き、遺灰はローマに留め置かれた。10年後ようやく故郷シチリアへ運ばれることになる。シチリアから来た特使は、最初、米軍機で空輸しようとするが、他の乗員が、死人と一緒なのは縁起が悪いと云い、降りてしまう。飛行士も故障でプロペラが回らない、と云い出すという始末。仕方がないので鉄道で運ぶことになるのだが、この列車内シーンが抜群にいい。なぜか、庶民と一緒に、座席もない貨物車のような車両に乗って行くのだ。ダンスする男女。列車内で、ピアノを弾く男もいる。この劇伴がまたいい。ドイツ語しか喋ることができないアルザスの女性と恋に落ち結婚した、と云う青年。夜、アルザスから来た女性を青年が愛撫するシーンも美しい。そして朝、シチリアの風景が窓外に広がるショットには鳥肌が立つ。
続く葬送シーンの、バルコニーから見物する人たちの仰角と、小さな棺を運ぶ若者たちの俯瞰を必要十分なカット割りで見せる簡潔な演出もいい。子供が、小さな棺を小人用だと云って笑う。実はフォードの『太陽は光り輝く』のような厳かな葬送ショットを期待したが、それは無い物ねだりというものだろう。というか、正反対の葬送シーンを狙ったのではないかしらん。
そして彫刻家の登場。墓石の準備のため、ゴツゴツした岩が点在する台地を下見する場面も圧巻だ。想像を超える大きな岩なのだ。シチリアに墓石ができ、遺灰が納められた後、余った遺灰(新聞紙に包まれた遺灰)を持った男が海の方へ歩くショットで、画面がカラーになる。こゝからの青色の氾濫は目に焼き付く。
短編「釘」はカラー。NYブルックリンを舞台とするシチリア移民の少年の話だ。遺灰の話とこの作品は一見何の関係も無いように思えるが、いずれも帰結が墓地である、というところで通じているし、少年が殺した理由が「定め(オン・パーパス)」だと云う点においても、遺灰の物語に相通じるものがある。見終わってすぐは、遺灰の話だけで、もっと膨らませた方が良かったのではないかと思ったが、いや、考えるうちに、この短編でもって死者を送る情感が高められているのだと感じられてくる。この組み合わせで正解だと思う。
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