[コメント] 祝福(1956/中国)
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辛亥革命の頃だから大昔ではない。浙江省東部の山村の、寡婦が受けた不条理が綴られる。死んだ亭主の棺桶代も借金。奥山の嫁取りを姑と叔父が画策する。封建制らしく姑が家の実権を握るのだろう(寡婦は嫁ぎ先に留まるか出るか、という物語は邦画でもたくさんあるが、彼の地ではどうなっていたのだろう)。
逃げた町で家政婦をするが捕まり奥山での結婚式。白楊は籠に押し込められ、後ろ手に縛られ、猿ぐつわをかまされて登場するが、誰も驚かない。何で誰も驚かないのかと驚かされる。せき立たせるチャルメラのラッパもすごく、白楊は両腕を背後から押さえられ、無理矢理に神に誓いを立てさせられてしまう。「寡婦の結婚式は何度も見たがこんなもの」「円満に済んだ」と村人は語り合うのだった。
奥山の結婚は亭主が意外にもいい人で子供を設けるが、借金生活やらで夫子と家を失い、再び町で家政婦。ここで結婚式の謎が説かれる。仏教マニアの同僚から見せられた仏教の説話画で、不貞の罪の説明がなされる。あの世で再婚した妻は二人の夫の取り合いになり、鋸で真っ二つに斬られる女という画。見せられた白楊は驚嘆、勧められて寺院に敷居を寄進、やれ嬉しやこれで不浄でなくなった、しかし雇い主から冬至のお祝い(祝福)の鯛を持ったと怒られて菩薩さまも護ってくれないと敷居を切り刻み、馘首されて路上で死んでしまう。
冒頭、魯迅のメダルと字幕引用がある。旧体制の問題点の摘出においてロシア文学のソ連との関係と共通するのだろう。無骨に斬り込む表現力にも共通するところがある。白楊は中年になり味のある演技。ずっと無口な造形だが、子供を失くした顚末だけは何度でも喋るようになる。「ああ私はバカだった。春に狼が来るとは知らなかった」。この後悔だけは喋らずにおられないのだ。
構図は的確過ぎるほど的確。音楽はときに派手過ぎるがそれが独自の味。労働者の銅像がゆっくり回るOPはモスフィルムそっくりで時代(こちらは三人だった)。「手足が大きいから」と白楊が雇われるのは中国らしいのだろうか。屋根付きの舟がとてもエキゾチック。川船に紐かけて石畳のうえを曳く苦役の件が忘れがたい。美しい光景のなか、亭主は倒れてしまうのだった。
なお、最後にこれは昔話と、革命前の一過程みたいな説明を入れるのは不適当だろう。是枝『万引き家族』への「国辱」非難と同じ類の配慮だし、そもそも白楊の最期の科白「死んでも魂は残るのか」という恨みと齟齬を来している。
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