[コメント] 裁きは終りぬ(1950/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
まず、農夫の男から行きましょうか.この男、もう一人の農夫、補欠の陪審員の農夫と合せて、おまえ達豚の世話をしてろ、ということなのですが、これだけで、この裁判逆転してしまう.カイヤットは無罪を描いていると、この時点で言うことが出来ます.
貴族の男、金持ちの男と言っていいのでしょうか.この男、自分の結婚に際し、それまで関係にあった女性を捨ててしまい、その女性は自殺する.その事を裁判が終わってから知ったこの男、自分で自分を裁く.
「助かりっこない人間の死に手を貸した、この女は訴えられ裁判で有罪になった.ところが自分は、助けようとすれば助けられる女性を、何もせず見殺しにしたのに、訴えられることもない.どう考えても、これはおかしい」
カフェのボーイ、この人が一番良い事を言っているのは明白です. 「人間、誰にでも間違いはある.ならば人を幸せにする間違いは許されるが、人を不幸にする間違いは許されない」、 その通りですね.
印刷屋の主、この人は、ちょっと考えました.一見正しいことを言っているように思える.確かベルサイユの広場で、カフェのボーイの恋人の女性がこんな事を言うのです. 「私達、この裁判を契機にして、幸せになれた.だからあの人も幸せにしてあげて」、 この言葉、先のボーイの男の言葉と、実は同じことなのです.こう考えると、印刷屋の主の言ったことは見えてくる. 「おれは不幸になったから、おまえも不幸になれ」、この男は、こう言ったのです.
安楽死、この裁判自体はどうでもいい、難解な事件、出来事に際して、(勿論、すべての出来事に対して)幸せを願う心で考えて欲しい.と、カイヤットは言っているのですね. 宝石商のおばさんと、横恋慕の男はいいとして、もう一人軍人の男が残っている.確かに.この男、観たとおり分からない、故意に分からなく描かれていると言うことで、終わります.それはどう言うことだと言われる方はメールを下さい.
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (1 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。