[コメント] 砂のような人生(1999/ベトナム)
映画を見終った人むけのレビューです。
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1975年の物語。南北の境には砂漠がある。北の家も砂地だった。林隆三さん似の夫は、若い妻と娘を家に残して旅立ち、南に残してきた妻の処へ夫は20年振りに訪れる。娘は南から帰ってこない父を訪問し、次いでその母も北へやって来てしまう。奇妙な四人の生活。四人とも北でもここ南でも眠れない長い夜。妻ふたりが並んで寝る。浮草みたいな私の人生、と唄われる。人の心はいつも飢えたまま、とも唄われる。
夫は逞しいいい男。南の妻は中年で、北の妻はまだ若い。お互いの嫉妬が交錯する。夫は漁に出る。大雨でひと晩帰らず、残された三人で心配する。村一斉に藁で屋根葺きの仕事をしている。家は一歩出ればもう砂浜で、雨が来ると藁が分厚く編みつけられた、とても印象的な雨戸を下ろす。海岸沿いの砂地に土饅頭が並ぶ墓地で、父は処刑、母は獄中死と語られる。拷問して撃たれて死んだ村長の墓は立派な墓石がある。
戦争で片脚になった夫の旧友と、地雷で両足をなくした女が結ばれる。このふたりはとても印象的だ。北へ帰る妻と娘。駅の傍の廃墟(戦争を思い出させる)で夫と北の妻が抱き合うのを南の妻は見てしまう。列車に夫を押し込む南の妻。しかし汽車が走り去ると夫は路上に残っていた。
下記が2年後に再会するつもりだった夫婦が引き裂かれた映画の背景(Wiki)。
1954年7月、ジュネーヴ協定(インドシナ休戦協定)が成立し、第一次インドシナ戦争は終結、フランス軍撤退、ベトナム民主共和国(北ベトナム側)の独立が承認された。北緯17度を南北の暫定的軍事境界線として南北を分割、南北統一のための自由総選挙を1956年7月までに実施するという内容だった。ただし、アメリカと南ベトナムは調印に参加しなかった。南北の境界線が確定された際、ベトナム国民が双方の好む体制側に移動することがジュネーヴ協定によって認証され、60日間の猶予で行なわれた。
ジュネーヴ協定と平行して1954年7月に樹立した反共主義者ゴ・ディン・ジエムによるジエム政権により、アメリカ合衆国の傀儡国家かつ東南アジアにおける反共防波堤という性格を持つベトナム共和国(通称「南ベトナム」)が建国された。ジエム大統領はジュネーヴ協定に基づく南北統一総選挙を拒否した。
1976年4月にジュネーヴ協定以来の懸案であった南北統一選挙が行われ、7月1日、南北ベトナム統一とベトナム社会主義共和国樹立(北ベトナムによる南ベトナムの吸収)が宣言され、「南ベトナム共和国」はサイゴン市陥落から1年余りで消滅した。
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