[コメント] 湾生回家(2015/台湾)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
映画は湾生数名を追いかけ台湾人たちとの再会を記録する。主に台湾東部「花蓮」という村が紹介される。間近に迫る峻厳な岩山、水牛の群れ、広い広い西瓜畑、元開拓民の爺さんは西瓜に詳しい。
下関条約の台湾割譲が1895年。「南進台湾」なる宣伝映画が流れる。あれは移民政策であり、アメリカや南米への移民と違いはなかったのだと語られる。台湾は天国だとプロパガンダを信じて来ればひどい処で、Uターンして帰った人もいる。元開拓民の爺さんは、そんな荒地を田園にしたという自負を語る。我々は個人で来た、「西台湾」とは違うと云う。
登場人物たちの親が官僚たったり、現地で結婚して転職したりして住み着いた人たちも登場した。日本敗戦により引揚。連れて行けないペットの猿との別れを語る老婆が印象深い。最後に猿は背中を向けて、飼い主の顔を見てくれなかった。猿も耐えていたんだろうと老婆は語った。帰国してからは惨めな人生だ、暖かい台湾が良かった。
映画はスタッフが、台湾で終末医療を受ける湾生の母親の墓を岡山で発見する。彼女は帰国後、大阪のアパートで友達もなくひとりで暮らしていたと、顔出しNGの元大家が電話で語る。饒舌な作風の本作のなか、語られぬ彼女の想いはどんなだっただろうと心が揺れる想いがする。
噂に聞く通り、登場する台湾の人は、抵抗なく日本語を使い、日本にフレンドリー。「日本人少ない。みんなで遊んだ」。一方で、日本人は裕福だったとぽろっと語る台湾のお爺さんもいた。台北の女学校にはいまだに「正しく強く淑やかに」と彫られた石碑が大切にされている。日本時代は治安が良かったと語る人もいた。
右翼的な言説だってここから組み立てられただろうが、映画はそうしない。いいことばかりなら霧社事件は起きなかっただろう、元開拓民の爺さんは語る。日本が好きなアジアの国があるのは発見だが、といって植民地政策だけはもう将来はあり得ないと彼の娘さんは一言云う。映画は彼女の言葉でもって的確な総括を施した。
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