[コメント] 郊外の鳥たち(2018/中国)
本作は、青年ハオの時間(現在)と子供時代(小学校の高学年ぐらい)のハオの時間の2つの時間が描かれるが、ハオ青年のパートでは、頻繁にズームイン、ズームアウトが使われる(それはホン・サンスの比ではない)。対して、子供時代のハオのパートでは、全くズームイン/アウトは使われていない。
現在パートでズームが頻出するのは、ハオが測量という仕事にたずさわっているからだろうか(測量機のミタメの象徴?)。しかし、現在パートにおいても過去パートにおいても、双眼鏡が登場し(多分、同一の双眼鏡。型が同一ではなく、製造番号が同一)、覗き見のモチーフ自体は一貫して描かれるのだ。現在パートのズーム多用は、窃視の感覚を意図しているのだろうと私は思う。
また、現在と子供時代の時空を貫通し交錯させる道具立ては、双眼鏡が顕著な使われ方をするけれど、他にも、川岸で昼寝する測量メンバーの場面があるだろう。子供のハオたちは、イタズラで、測量機のレンズにガムをくっつけるが、後のシーンで、ハオ青年たちが昼寝から起きると、測量機にガムがついていている、という交錯だ。
昼寝のシーンを紹介したついでに、本作には横臥の演出、寝そべった人物の場面が印象的に繰り返されることも指摘しておきたい。冒頭近く、唐突に朝、ハオとツバメ(役名)がベッドで寝ているシーンが挿入される部分もあるが、やはり、森の中で子供たちが皆寝そべって、誰が好きかを告白する場面がいい。これは、ラストの森のシーンにも呼応する。
他にも、いきなり出現するとか(例えば上に書いたハオとツバメがベッドにいるといったこと)、知らぬ間に消えるとか(階段でつまづいて、画面から消えるとか、一緒にいたはずの子供たちがいなくなっていくとか)、ほったらかしにされる(冒頭の塔に登っていた子供や、鳥の卵とか)、あるいは、意味不明な挙動とか(唐突に走り出す測量メンバーのアリなど)、そういった謎の演出が沢山あって、理屈を詮索したい観客には不向きな作品かも知れない。私は映画というのは、基本、画面が面白ければ、正義だと思っているので、これらは、画面に驚きをもたらす、という意味で、この映画の良い点だと考える。
さて、現在と子供時代の両パートの好き嫌いで云うと、圧倒的に子供時代パートが好ましいと思う。それは、良い子役に大人の俳優は勝てない、といった一般的な事柄もあるけれど、過去パートは、子供たちの躍動感と共に、撮影についても瑞々しさが全然違うと感じられるのだ。子供たちが歩くのをフルショットで撮った横移動など。あるいは、道なき道を皆で歩きながら、一人また一人と脱落していき(あるいは忽然と消えていき)、女子2人(ティンとキツネ)とハオだけになる、暗い川岸のシーンの寂しさの表現なんて実にいいと思う。ただし、子供時代もステディカム移動を多用した画面は実は私の好みではない(私は、極端なズーム嫌いだが、普通レベルでステディカム嫌いでもある。なぜなら、いずれも人間の見た目とは全く異なる画面になるからだ)。
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