[コメント] 正義の行方(2024/日)
真実はひとつだと言い切れない現実。真実は客観的なものではなく置かれた立場や役割により「そうあって欲しい」「そうあるはずだ」「そうあるべきだ」という思いによって作り出されるということ。その思いが強いほど“真実”は現実のなかに埋没してしまうということ。
当時の地元新聞社の記者はスクープ至上主義を自省しながらも決して、それが誤りだったと言い切らない。それも当時の「正義」だったという矜持なのだろう。そして後輩記者たちの検証取材で浮かび上がる新しい事実をただ黙って受け入れる。
再審請求が遅れたことを悔やむ弁護士は「死刑執行」は自分のせいだと言わんばかりに罪を背負い、30年以上前の裁判のやり直しを申請し続ける。弁護士の「正義」を実践するために、まるで徒労という罰を自らに課しているかのようだ。
当時の捜査責任者だった刑事は、被告人の妻に「そんな事実はなかった」と否定される事案も、すべて自分の都合に合わせて解釈し何の迷いもなく「凶悪犯を野放しにするわけにはいかない」のだとと喝破する。凄まじい正常化バイアスだがこれが彼の「正義」なのだ。
私たちは真実ではなく、正義という名のそういう「危うい現実」を生きているということ。
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