[コメント] 最後の歓呼(1958/米)
この点(階段の映画)について先に書いておくと、実を云うと、中盤まで(選挙戦が終わるまで)は階段のことをすっかり忘れていた。が、終盤になって、まず、トレイシーが階段でうずくまり動かなくなる。その際に一人息子(こゝまでに放蕩息子であることが描かれている)−アーサー・ウォルシュの名前を(ジュニアと)呼ぶというのがポイントだ。これに呼応するように、ラスト近くになって、このダメ息子が、ダッド!と叫ぶ場面が同じ階段で演出されるのだ。そして、エンドマークが出るのもこの階段を背景としており、階段を上っていく男たち(トレイシーの仲間たち)とその影のショットだ。
さて「男たち」に言及したので、この点(脇役陣)について、書いておこう。序盤の市長執務室のシーンで既に、参謀たちの顔ぶれを見、ジジイ脇役ファンには堪えられないと感じる。参謀の中心にいるのがパット・オブライエンとリカルド・コルテス。いつも後ろの方にいる痩せたジジイはジェームズ・グリーソンで、他にもカールトン・ヤングやウィリアム・レスリーがいて、そしてトレイシーと同じ帽子を新調したと嬉しそうに云うのがエドワード・ブロフィだ。ブロフィがトレイシーに可愛がられていることが良く分かる描写が何度も出てきて、これがまたいい。
他の配役も、一般的には地味かもしれないがフォード・ファンには豪華版だろう。新聞社の場面で登場するトレイシーの甥はジェフリー・ハンターで、もう一人の主人公と云っていい。その上司はトレイシーを嫌っているジョン・キャラダイン。また、ハンターの妻はダイアン・フォスターだが、彼女の父親はウィリス・ボーシェイで、彼もトレイシー嫌い。プリマス・クラブという市長に敵対するメンバが集まる社交クラブの場面では、キャラダインと共にベイジル・ルイスデールの司教がいる。さらに銀行家のベイジル・ラズボーンも反市長派だ。ちなみにこの銀行家の馬鹿息子でトレイシーから消防署長に任命されるのがO・Z・ホワイトヘッド。トレイシーがプリマス・クラブに乗り込む場面で、ドアの前で警護する警官はジャック・ペニックだ。ペニックはこゝだけの出番かと思っていると、ラスト近くの市長邸を警護する警官役でも再登場する。
また、前半の見せ場、あるいは重要場面として、葬儀シーンがあると思うが、こゝで出てくる未亡人はアンナ・リー、葬儀場に一番最初からいる恰幅のいい御婦人がジェーン・ダーウェルだ。ダーウェルがいつも通りの女傑キャラ(笑い声と口の悪さ)でシーンをさらう。司式者は市長派の司教でケン・カーティス(彼は実生活ではフォードの娘婿)。後の場面になるが、カーティスと一緒に選挙戦のテレビ放送を見る枢機卿はドナルド・クリスプで、彼が本作の「トメ」のような存在と云っていいだろう。
あと、市長選の対立候補で、ウォーレス・フォードとフランク・マクヒューという常連候補者と共に、新人候補者マクラウスキー役で、チャールズ・B・フィッツシモンズが出てくる。彼は『静かなる男』ではIRAメンバーの一人を演じていた人で、モーリン・オハラの実弟だ。『栄光何するものぞ』でもチョイ役で登場したが、本作の目立つ扱いは嬉しかった。彼と家族と愛犬がテレビ出演する場面の演出はちょっとやり過ぎだとは思うけれど(このシーンの司会者役はフランク・アルバートソンだ)。
全体に選挙戦が終わるまでは、フォードとしては中程度の出来かと思いながら見ていたが、選挙戦後のシーケンスがこれだけ続くとも思っていず、さらにこの終盤が抜群に良いのでやっぱり感嘆して見終えることとなった。作劇的には、放蕩息子のジュニアに対して、トレイシーだけでなく、ハンターや参謀たちの誰も何も諭したりしない、という点が非凡だと思う。画面ということでは、フォードらしいパースペクティブな画面がほとんどないのは寂しいけれど、選挙戦後に一人で公園の中を歩くトレイシーのショット、後景にパレードのサーチライトの逆光が間歇的に映り込む横移動シーケンスショットが忘れがたい。
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