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[コメント] フェラーリ(2023/米)

実に見応えある作品。マイケル・マンのボルテージはまだまだ落ちない。プロットのメインは1957年のみ。この短時日に絞ったプロット構成が成功している。
ゑぎ

 モノクロのアバンタイトルは若きエンツォ・フェラーリ−アダム・ドライヴァーのレースシーンだが、メインのプロットの始まり−カラー画面で丘陵地の風景を普通より短く繋ぐ、この冒頭を見た瞬間から、あゝマイケル・マンだと思う。

 まず一等書いておきたいのは、フォーカスの演出だ。マンはもともとフォーカスにもかなり意識的な監督だと認識しているが、本作のフォーカスの演出、特にピント送りの頻出、徹底は、他に無いものだろう。屋内でもずっと絞りの開いた浅い深度の画面。いや、現代映画でこゝまでピント送りが頻出する映画を私は他に知らない。それは序盤から終盤までずっとだ。ピント送りは余り好きではないし、出来ればやって欲しくないのだが(ズーミングほど嫌いではないが)、本作のピント送りは、これ見よがし感のほとんど無いもので、良いリズムを生んでいると思う。また、基本、同一カット中、一度しかピント送りをしないが、部屋の中の妻ラウラ−ペネロペ・クルスと奥のドア付近にいるエンツォ−ドライヴァーを2回ほどピント送りし、最後はクルスが持って帰って来たブリキの玩具のレーシングカーに焦点を合わせるショットなんてのもあり、流石にこれはやり過ぎだと思った。ちなみに、ズームは、主にレースシーンで何度か使われるが、これもイヤらしいものではない。このあたりも、マンの映画は筋がいいと思う。

 そして、レース・走行シーンのスペクタクルについて。勿論、これを大いに期待して見たのだが、私としては充分満足させてくれる出来でした。まずは、教会でのミサの場面と、マセラッティの計測走行をクロスカッティングする最初のサーキットシーンから亢奮させられるし、以降、レースシーンの動的な画面造型は、ずっと強度が落ちない。しかし、何と云っても次の2つのクラッシュは、いずれも瞠目する造型だ。実は、いまだにこの手のシーンは『レッドライン7000』基準で見てしまうのだが(うろ覚えの『レッドライン7000』の造型と比べてしまうということです)、本作序盤、マセラッティの記録を破ろうとプレッシャーをかけた走行シーンで、宙を舞う車体と人体の画面。これがもう『レッドライン7000』のクラッシュシーンに迫るものだと思う。そして、ミッレミリアのレース中の事故シーンは、こんなの見たことない、という厳しい描写。いやはや これは凄い。

 さて、演者については、アダム・ドライヴァーの素晴らしさはもう云うまでもないと思うので割愛する。中盤までは、ペネロペ・クルス以上に、愛人リナ・ラルディ役のシェイリーン・ウッドリーの方が儲け役かと思いながら見ていたのだが、やっぱり、終盤はきっちりクルスが取り返す。クルスが50万ドルの小切手の現金化について話す場面は、極めてゆっくりとズームで寄るショットだ。あと、アダム・ドライヴァーのママを演じているダニエラ・ピッペルノという女優がいい。クルスが発砲した後の彼女の落ち着き払った様子。前半は、彼女がもっと出てこないかと思いながら見ていた。

 最後にちょっと気になった部分も少し上げておく。一つはオペラ観劇シーンでフラッシュバックを連打するシーケンス。私はこんな中途半端なフラッシュバックなら、無い方がマシと思う。さらに、舞台上の(オペラの)キャスト2人に寄ったショットはとても違和感がある。引いたショットの方がいいという感覚。あと、クルスが愛人と子供の存在を知った後の、ドライヴァーと罵り合う場面。説明科白とオーバーアクトで、これには白けた。もう一つ、ミッレミリア・レースの事故後の場面で、部屋に残された手紙を女優−サラ・ガドンが読むシーン。これに手紙の文面をモノローグで入れないのは違和感があるのだが、実はこの選択、この簡潔さこそマイケル・マンらしさだと感じた。

(評価:★4)

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