[コメント] ガラス職人(2024/パキスタン)
映画を見終った人むけのレビューです。
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手描きアニメが存在しないパキスタンにおいて、手描きアニメを作ろうと決めた監督がスタジオを設立して10年がかりで作り上げた作品だ。アニメ「業界」など存在しない世界で固有の初期衝動によって作られた今作は、日本のアニメを見慣れた我々に新鮮な驚きを与えてくれる。久しぶりに自由に息ができた、ような気さえしたのだ。アニメあふれるこの国にいながら、しかし倒錯とは思っていない。
日本の商業アニメが長年かけて練りあげてきた様々な「作法」が表現の自由を損ねていると感じることが、わたくし近年は多かった。OP・Aパート・Bパート・EDというテレビアニメの基本フォーマットにさえ煩わしさを感じている。商業アニメは企画段階から商業の原理と無縁ではいられない。なぜなら商業アニメだからだ。製作委員会方式も嫌いだ。ある程度決められたメソッドあればこそ多様なスタジオで量産が可能になるのも判るが、それらから自由なアニメーションも観たいと強く願っている。
今作が主人公のガラス職人の青年時代と少年時代を複雑に行ったり来たりの入り交じりセガ社長するのも、明らかにうまくいってない部分が数カ所あることさえ、今作に限ってはむしろ好ましく感じた。
たとえば新エネルギーの軍用エンジンをガラス職人が作らされるというフィクションの上に、それが爆発するように主人公が細工するというウソの2階建てはもう全然ピンとこない。主人公のドラッグキメたような顔もどうかと思うし、そのせいで父がシャレにならない怪我をするのもどうなんだ、その後がちゃんと描かれないので投げっぱなし感は拭えない。
それでも商売のために表現のハードルを下げてない。失敗を恐れずに挑戦している。ビビった精神でパキスタン初の長編アニメを作れるかという気概を感じる。
本作で描かれる架空世界はイスラム教も他の宗教も存在しない世界のようだ。街にはヒジャーブをつけた女性もいるが、全員ではない。戦争と軍隊は支配的な存在だ。それらに脅かされ、踏みつけられるのが芸術の世界だ。
反戦は大きなテーマだ。戦争を続ける軍隊は終始批判的に描かれている。劇中、若者を徴兵した軍の大佐は民衆に向かって、「戦争に勝って、皆さんの息子を必ず生きて帰します」と演説する。残念なことにその約束は果たされないのであるが、それにひきかえジャップなんか赤紙1枚で「天皇のために死ね。よかったな嬉しいだろ?」だからな。日本人であることが強烈に恥ずかしかったぜ。
ガラス職人にとって大切な火の精霊「ジン」がキャラクタライズされないのは、それがイスラム教における「偶像」になってしまうからなのかもしれぬ。この素っ気なさは美しいと感じた。これが日本のアニメならかわいいキャラになり声優が喋りグッズにもなりキャラソンも作られる。ゆきすぎたサービスは、しかしどこかで卑しさと重なってしまう。宮崎駿の『君たちはどう生きるか』でワラワラなる精子のキャラクターを見たとき、まだそういうことやるんですかと少なからずガッカリしたのを思い出した。
少年は少女の演奏会に駆けつけるんだけど、いろいろあって客席に入れずにやたら高い窓に登るしかなく、『卒業』のダスティン・ホフマンみたいな位置から演奏を聞く。少女は待ち人が来ないまま、ヴァイオリンを演奏せざるをえない。ここで少女が「卒業」ポジションにいる少年に気づかないのがとてもいい。ジンの輝きに一瞬気づきそうになるが、少年への思いは父親の帰還にかき消される。そのすれ違いを、ことさらドラマティックにしない。この慎みは、とても好ましい。
少年と少女は結ばれず、ラストの再会も幻想だ。新海先生とりわけ『秒速5センチメートル』の影響を感じる。戦争という暴力は運命の相手を引き離し、大きな力で無慈悲に人生を曲げてしまう。それはもしかしたら、ロマンティック・ラブがほぼ成就しないと聞く(結婚は親が決める)パキスタンという国で生きる監督の実感なのかもしれない。
ちなみにこの映画をオレは「ひろしまアニメーションシーズン2024」で2024年8月17日に観たんだけど、監督は奥さん同伴で来日してた。奥さんとはロマンティック・ラブでしたかとは、ちょっと聞けなかった。代わりに上映後のロビーで、サンキューとだけ伝えました。ありがとう!
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