[コメント] 聖なるイチジクの種(2024/イラン=伊=米)
ファッキン家父長制
舞台は大都会テヘランから田舎の廃屋、そして古代遺跡へ。現代社会から神話の世界へ、人類の歴史を遡る。現代イラン社会の問題が、普遍的な人類の問題へと還元されてゆく。ま、あんまり人のいない場所で秘密裏にロケしなきゃならん制作上の事情かもしれませんが。
あの、銃がなくなるより以前にオヤジがうっかり脱衣所に銃を忘れるでしょう。それを奥さんが引き出しにしまう。これがすげえリアルだと思ったな。だらしねえオヤジがいい気になってエバれてんのは、奥さんが何くれとなく世話してくれてるからなんだ。奥さんがケツ拭いてやってんだ。権力構造の正体見たりですよ。
銃の何が問題かって、そりゃ撃たれりゃ死ぬってのが一番だけど、持ってるやつと持ってないやつの力関係に極端な不均衡が生まれ、丸腰はガンマンに従わざるを得ないってことなんだ。銃を持ってる、たったそれだけのことでだ。撃つの撃たねえの以前に、この力関係がすでに暴力である。銃規制すべし。
家父長制の暴力を描くにあたって「女からスマホをとりあげる」という松本人志ムーブがハッキリ描かれており、これには戦慄した。テクノロジーを奪い一方的に場を支配すること、これまた堂々たる暴力である。奥さんが目隠しされる場面もあった。イランの女性たちが置かれる状況とはこれか。一方で娘が家父長制を出し抜く手段が、枯れた技術の音響機器を駆使した情報戦なのも象徴的である。趨勢はどちらがテクノロジーを有効に使いこなすかで決まる。現代の神話たり得ていると思った。それは映画というテクノロジーを駆使して家父長制=国家に抵抗する作り手の姿でもある。
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