[コメント] 地獄への挑戦(1949/米)
サミュエル・フラーの長編監督デビュー作はジェシー・ジェームズを題材にした西部劇だが、原題は「私がジェシー・ジェームズを撃った」というもので、主人公はロバート(ボブ)・フォード、つまり、ほゞ『ジェシー・ジェームズの暗殺』と同じ題材を扱っている。
主人公のボブ・フォードはジョン・アイアランドが演じる。ただし彼はビリング3番目というのがまた屈折した趣がある。ビリングトップはプレストン・フォスターで、役柄は「ボブ・フォードを殺した男」なのだ。ちなみにビリング2番はバーバラ・ブリトン、アイアランドとフォスターの間を揺れ動く女性という役で、この関係はフィクションだろう。これら主要人物の設定が示唆している通り、本作のジェシー・ジェームズ−リード・ハドレーは序盤ですぐにフォード−アイアランドによって背中から撃たれる。
さて、全般的な感想ということでは、特に中盤以降、プロットの欠落を思わせるレベルの繋ぎの悪さがあり、荒っぽい出来、ということになる。しかし、個々のシーンには既にフラーらしさを思わせる部分もあって、見応えは充分だと思う。私がフラーらしさで最も指摘したいのは、矢張り、クローズアップの使い方で、実際のところは背景の作り込みを効率化し早撮りするための手段だったのかも知れないが、インパクトのあるシーンを作っている。例えばアイアランドとブリトンの会話シーンにおける2人のアップ。後半にはフォスターがブリトンにアイアランドと別れろと説得する場面があり、こゝでもアップが活用されるが、ブリトンが一瞬我を忘れたように錯乱するという演出もフラーらしいと感じた。
あと、本作でも劇伴としてフォークソングの「ジェシー・ジェームズのバラード」が使われているが、タイトルバックのオーケストレーションに始まり、サルーンのピアノ奏者やギター弾きによって何度も何度も変奏されることで耳に残る。特に歌詞の中の「ロバート・フォード、あの汚い卑怯者」というフレーズが効いて来る。ラストの科白は、私には取って付けたように感じられるけれど、フォード−アイアランドには、裏切り者としての意識が常にあり、ジェシーの存在がつきまとっていたのだ、ということはよく表現されている。
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