[コメント] アイヌプリ(2024/日)
勿論、映画にフィクションとノンフィクションの境目など無い。いったんカメラを向けられるとそこには非日常が映るし、明らかな段取り芝居も映る。しかし、いずれにしても良い映画にはスペクタキュラーがある。
夕方だろうか、川岸を男性が一人歩いて来て、煙草を地面に置き、祈りの言葉を唱える。アイヌの言葉と次に和人の言葉。川の浅瀬で、銛のような道具−マレク(公式サイトなどではマレクのクはプの小文字で表記されている)という、2メートルぐらいの棒に鉤銛をつけた道具を使ってサケを獲る。獲ったサケは、棍棒で頭を殴り、川の中でサバく。男性はシゲキ−シゲさん。もうこの冒頭から極めて厳粛な空気、高い緊張感が張りつめている。
舞台は北海道白糠町。シゲの家族は、妻と息子2人。冒頭近くの下の子は乳児。終盤のこの子(と思う)は2歳ぐらいになっているので、この家族を追いかけた年月が推測される。長男のモトキは10歳ぐらいかと思って見ていたが、中盤には10歳の誕生日のシーンがある。とても利発なレスポンスをする子で、この子が本作の面白さを担っている部分は大きい。尚、仏壇にも嬰児の写真があり、ドキリとさせられたが、この件も、後でシゲと妻のインタビューで語られる。この辺りの見せ方も上手い構成だと思う。
画面で瞠目する部分は沢山あるが、まずは、シゲが銃を持って山に入り、笛を鳴らしながら、何か獲物を呼んでいる?と思っていると、顔に緊張が走り、銃を構え撃つ。小さくズームインをすると、画面奥で鹿が倒れるのが映る、というショットは見事だ。牡鹿。ちょっと想像を絶するくずおれ方をしている。首が垂直になっている。眉間あたりから血が流ているショット。凄腕のハンターなのだ。
シゲとあと2人の男性の3人で、夜の漁をするシーケンス。こちらは、薮から木を伐り出すところから始まって、木を削って祭壇に祀り、重ねた炭火に祈る。やはり、マレクというカギ銛のついた道具でサケを獲る。川岸で男たちが驚く瞬間があり、ライトが消え、何が起こったのか分からなくなる。暗闇で何か動物の目の光だけが映る。立派な角の牡鹿が足を挫いたのか、川の中をゆっくり歩いていたのだ。男たちが、こっちに来る、と云いながら慌てるのもいい。
あるいは終盤のアイヌの民族衣装を着た男性2人が刀を持って踊る場面。女性たちが歌を唄い、その他の男女、子供たちも見守る。手持ちの長回しでこの場面をじっくり見せる撮影。また、民族衣装を着たこれらの人たちが、屋外で輪になって唄い踊る。こゝで、カメラを輪の中心に置き、人々がカメラの周りを回るように、360度パンしながら撮ったショットもノンフィクションの境界を取っ払うような、準備された良いショットだ。
「映画」から離れて、社会テーマ的な部分では、マレク漁をするには自治体への申請が必要だし、シゲは派出所にも根回ししているといった場面を見せた後、海で漁師の仕事をしている男性の独白があり、和人のことを自宅に勝手に住み着いた他人に喩えた認識が開陳される部分は感慨深い。元々自分の家なのに、隅っこに追いやられている、水道の蛇口をひねるのにもお伺いを立てないといけなくなっている、みたいな認識。
一方で、アイヌと云うと友達からカッコいいと云われるモトキの話もある。アイヌについて父から学んだことを友達に教えていると云う。モトキは、将来の仕事に関して聞かれて、父の仕事について長考した後、そんなにしたいと思わないと云う。別の場面では、高専を出て大塚製薬か大塚食品に勤めたい、月給がいいから、と云う。シゲとモトキの2人がマレク漁に出るシーンで、モトキは「俺ら東京さ行ぐだ」を鼻歌で唄う。
そして、最終盤は、シゲの家族がキャンプをする場面だが、これが遥か国後島を見晴らす場所だ。調べると白糠町からはかなり遠い(車で2〜3時間かかる)場所と思われる。これって作為を感じなくもないが、そんなことはどうでも良いだろう。シゲがモトキと2人で国後島とその夕景の空を見ながら「美しい」と呟く言葉がディレクションかどうかもどうでもいい。とても落着きの良い美しいシーン、美しいエンディングだと私は思う。
#福永壮志って「SHOGUN 将軍」の監督の一人でもあるんですね。何と神出鬼没。
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