コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 名づけてサクラ(1959/日)

大映ドラマのような大悲劇だな、と思わせるものの、私の生まれる数年前には悲劇は現実の日本の風景だったことに愕然とする。この国は負けたのだ。そして戦後10年以上を数えてなお、女性たちは惨劇を反芻させられることを強いられていたのだ。
水那岐

幼い頃、親に買い与えられた漫画雑誌を眺め、私はそこに展開される「一群の悲劇」を不思議とも思わず見つめていた。

米軍兵士と肩を寄せ合って歩く、スカーフを巻き厚化粧に顔を染めた女たち。

学園ドラマのなかに点在する、いわゆるハーフの少年少女。

カトリック教会の尼僧たちが取り仕切る、多くの孤児たちを抱えた孤児院。

これらというのは、自分が園児であった頃に親しい風景ではなかったのだが、なぜか漫画誌に溢れていたモチーフだが、決して自分の周りに見られるものではなかった。子供心に、これだけ使い古される情景なのだから、どこかにはあるのだろうな、と思わされる世界であった。自分が子供時代を過ごした1970年代にして、知るものと知らぬものが厳然と存在する話題だったのだ。

この映画は、そんな私の知らない「常識」を悲劇臭たっぷりに描いたものだ。知らぬゆえに、どこかの都市伝説か使いやすいお涙頂戴ネタだ、と思っていた古臭い悲劇は、これがれっきとした社会派ドラマとして上映されたものだと知り、一気に現実味をおびて再現された。敗戦っていうのは、つまりはこういう尻尾をいつまでも引っ張るものだ、と今更ながら思い知らされる。嘘くさいと思わされるのは、もう他人事に見えるほどに尻尾の迹は清掃され果てていたからだ。安堵が訪れたのはそう思ったあとだ。

ちっともドラマティックでない環境で、詰まらないことこの上ない青春時代を送れたのは僥倖だったのだ。ゆえにこれがクサい大悲劇に見えたのだ。

ああ、幸福だったのだ!噛みしめる感慨はリアルな思いに他ならない。

(付記)ヒロインに情けをかけるバーのバンドマン役の岡田真澄が、彼女になんらかの芸を磨いて誰にも見下されないオトナになるよう助言するくだりがある。ハーフ俳優として、押しも押されもせぬスターになった岡田の心底からの助言と聞こえたその言葉に、改めてハーフタレント・ブームの影を感じさせられた。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。