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[コメント] 砂漠の生霊(1929/米)

やっぱり、ピカレスクに徹したときのワイラーは素敵。原題は「地獄の英雄たち」だ。邦題の生霊(いきりょう)はワケが分からない(精霊ならまだしも)。きっと映画も見ず、梗概さえ読んでいない人が邦題を付けたのだろう。
ゑぎ

 冒頭は3人の乗馬が荒野を行くショットを繋ぐ。続いて町。これが大きなオープンセットで驚く。調べると、当時ゴーストタウンになっていた町をそのまゝで(少し化粧をして)使ったようだ。主人公のチャールス・ビックフォード登場。すぐにパンとティルトして山の上に小さく人馬を3つ映した超ロングショットが来る。この山上の3人とビックフォードは仲間で、この町の銀行強盗を計画しているが、先にビックフォードのサルーンでの様子が描かれる。この部分、酒場女の描き方や保安官−ウォルター・ジェームズとの絡みなんかもいいと思う。ビックフォードは、自分は銀行検査官だと云い「今から銀行強盗をやりに行く」とうそぶいてサルーンを出ていく。彼の度量の大きさがよく表現されている。

 こゝからはフォードの『三人の名付親』との比較も交えて書こう。フォード版は初めからウェインを中心とする3人の仲間だったが、本作は、銀行強盗シーンで一人銃撃され、3人になって砂漠を逃亡する。また、犯行時に銀行の出納係を撃ち殺しているというのも、フォード版にはない展開であり、これは設定として大きな意味を持つ。本作のビッグフォードたちは殺人犯の極悪人なのだ。また、この出納係は、3人が砂漠の幌馬車の中に見つける妊婦の夫だった、という因果話にしてしまうのは本作のベタな作劇であり、フォードはこのあたりを回避している。あるいは、本作のビッグフォードは、この妊婦を当初は(妊婦と分かるまでは)女として見ている描き方だ。彼が「俺が見つけた」と云って女を独り占めしようとする、この生々しい描き方は大きな相違点だろう。

 また、砂漠の中で生まれた赤ちゃんの描き方で「映画の幸福」を定着するフォードとの対比も興味深い。特に、新生児に保湿のためオイルを塗る必要がある、という場面が特徴的で、本作ではミーチャム博士の育児書に記載されている通りオリーブオイルを塗るのだが、フォード版では、オリーブオイルがなく、代わりに馬車の車輪用グリスを塗ることで傑出した幸福な画面を作り出す。

 ちょっとフォード贔屓の書きっぷりになってしまったが、2作の相違点で一番大きいのは主人公、ウェインとビッグフォードの終盤の描き方であることは間違いない。その詳細は書かないでおくが、結果的に、フォード版は、ファンタジックかつ、ある意味フォードらしい脳天気な人間讃歌であり、明確な宗教映画でもある。本作ワイラー版も宗教映画の側面はあるけれど、ラストまで厳しい厳しい展開だ。本作の厳しさも捨てがたい魅力がある。ただし、見方を変えれば、このビックフォードも理想主義的なヒロイズムとも思う(それはそれで、魅力的だということです)。

 あと、仲間の2人、ワイルド・ビル−フレッド・コーラー、バーブワイヤー−レイモンド・ハットン、いずれも良い造型と思う。ショットだと、フォード版ほど良いショット目白押しというワケにはいかないが、ビックフォードの足跡を低い俯瞰で移動して見せた後、クレーン移動で高い俯瞰からビックフォードに寄っていき、さらに縛り首の縄を現出させる幻想的なカット構成には驚かされた。

(評価:★3)

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